タンゴばなしのつづき。
図書館でタンゴをさがして『在りし日のコンゴ』を借りてきた。どうやらまちがって「タ」の行にはいっていたらしい。50年代コンゴ音楽のコンピレーション盤である。
微分的なリズムの上にチャントがのって、いかにもアフリカらしくもあるし、ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブっぽくもあるし、まえにでてきたプエルトリカン・ミュージックのようでもある。テクニックにはしらずスピリチュアルにながれず、フィジカルにたよりすぎず、オシャレになりすぎず、塩梅のいいグッドタイムミュージック。ただしグルーヴの強度はすこぶるたかい。リラックスしているのに強度はたかい。
ライナーをよむと、コンゴでも宣教師たちによって合唱音楽がもちこまれていたらしい。コンゴはもともと王国であったが、植民地化され、15世紀には奴隷貿易の中心地となっていたという。
時代はくだって、20世紀の2つの大戦のあいだに、カリブからの貨物船によってキューバ産のルンバがSPレコードでもたらされる。コンゴ風のルンバは、こうしたアフロキューバンのルンバをカバーするところからはじまった。どうやら1930年代の末ごろから、自前のルンバが萌芽していたらしい。
そうしたアフリカのひとびとの演奏するルンバをレコードにして売りだそうと、40年代からじょじょにレコーディングスタジオやレーベルがつくられていく。50年代はコンゴ風ルンバの黄金期で、いくつものレコード会社がそれぞれにタレントを抱え、売上をきそいあった。オリンピア、ンゴマ、オピカといったレーベルがうまれ、それらはのちにフィリップスなどのメジャーレーベルに吸収されていくことになる。
そんな50年代コンゴ音楽であるが、たくさんの才能のなかに、またしてもハワイつながりのひとをみつけた。「ジミー・オブ・ハワイアン」とよばれたザシャリエ・エレンガというギタリストである。自身のアコースティック・ソロ・ギターのスタイルを「ハワイアン」として確立し、スターの地位を築いたという。
どうやら変則チューニングのつかい手らしく、ライナーには「Dの弦をEにした2つのEからなる「コンパウンドE」を編みだした」と書かれているが、詳細は不明。ライナーの原文がフランス語で、訳者も音楽家ではなさそうなので微妙だが、おそらくは6弦から4弦と、4弦から1弦を、ふたつのエリアにわけ、どちらもEととらえて、組み合わせてフレージングするというコンセプトではないかとおもう。
低音弦がわをEにフォーカスしつつ、高音弦がわをレギュラーチューニングの感覚でつかう。1弦と4弦のEにサンドイッチされた2、3弦の複音をつかってメジャーとマイナーを行き来することもできる。合っているかは知らん。
ともかく、このまえ立てた仮説はアッサリと否定された。ものぐさでなく柔軟な音楽的発想でチューニングをいじるとこうなるのか。
ジミーさんは若いころ聖職者になるかミュージシャンになるかで迷ったそうだが、やはりこういうひとがなるべくしてミュージシャンになるのだろう。以上、報告おわり。