ハワイばなしのつづき。
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一説にはカメハメハは「寂しい男」という意味だそうである。酋長の息子としてうまれ、幼いころ、たたかいの危険をさけるため、ワイピオの渓谷に5年のあいだかくされていたためという。その後、戦士としてそだてられ、白人のたすけをかりながら一代でハワイを統一し、王朝を築いた。1810年のことである。
カメハメハ自身はキリスト教に帰依することはなかったが、没後、王室はキリスト教をうけいれ、ハワイは音楽的には讃美歌の影響をうける。フラやオリは野蛮なものとして禁止され、1874年にカラカウア王が復活させるまで、不遇の時代がつづいた。
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それにつけても、現在、われわれがポピュラー・ミュージックで親しんでいるギターやベースやピアノなどのコード楽器が、世界中にどのように伝播していったかというのは、なかなかおもしろそうな話題である。
和音をだせて、軽量で運搬でき、かつ伴奏につかえるものといえばまちがいなく弦、しかも弾き語りのできるものだろう。だからやはりギターの類だったはずだ。ギターかリュートかマンドリンか知らないが、その手のもの。旅人や詩人や商人たちがそれを広めたのだ。
ハワイのばあい、それはナイロン弦ギターとウクレレであった。ギターについては、ヴァケーロとよばれたカウボーイたちがもちこんだということで、ひとまずはよさそうである。
いっぽう、ウクレレをハワイに持ちこんだのは、ポルトガルからの移民だったといわれている。1878年、サトウキビのプランテーションで働く労働者としてやってきた彼らがもちこんだのが、ブラギーニャと呼ばれる小型のギターのような楽器だった。これがピラリリとよばれ、のちのウクレレにつながっていったという。
と、ここまで書いておもったのだが、そもそも和声を伝えたのは楽器いぜんに人間だったのではあるまいか。すなわちニューイングランドからきた宣教師がもたらした賛美歌のハーモニーである。このあたりは、まえにしらべたブルースの形成のときと、事情はおなじなんじゃなかろうか。
ひょっとすると宣教師たちが世界中に和声をひろめていったという側面もあるのかもわからない。ちゃんとしらべないとなんともいえないが、急にそんな気がしてきた。
いったん経過報告。