ロックンロールばなしのつづき。
ロックンロールの名付け親といえばアラン・フリードであり、ロックンロールの歴史とセットで語られる「ロック・アラウンド・ザ・クロック」といえば『暴力教室』である。この『暴力教室』の原題は「Blackboard Jungle」、ハードボイルドなタイトルだが、それもそのはず、原作のエヴァン・ハンターはエド・マクベインと同一人物である。
さておき、巷にはカントリーミュージックを高速化するとロックンロールになるという説があり、これは要するにクラックでハイになったひとがカントリーを聞いたところからロックンロールが生まれた、というはなしだが、じっさいは、カントリーやフォークやブルースやブギやヒルビリーなどがごちゃごちゃになって、気がついたらできていた、というあたりが真相ではあるまいか。
とくにロックンロールの黎明期は、各地のブルースマンが自己流の解釈でさまざまな曲をうみだしていたのではないかとおもう。ラジオからながれるロックンロールをきいて、あるいはこういうスタイルらしいというはなしを聞いて、自分でもつくってみる、というようなことが、あったのではなかろうか。
じっさい、ブルースにはルンバやマンボ調の曲もけっこうあるわけで。すくなくとも、フォーマットがシンプルなぶん、ほかのスタイルをとりいれやすいということはあっただろう。
レコード、ラジオ、テレビ、インターネットによって加速度的にサウンドの画一化がすすんでいくとともに、たくさんのスタイルが田舎で埋もれていったこととおもう。そうしたわすれさられたような戦前の音をさがしてウロチョロしているわけだが、これもどうしてか知らない。
ハワイ音楽しかり、さしせまったなかにのこるアマチュアイズムのようなものにひかれるのかもわからない。たんに無用者の系譜に連なりたいだけのような気もしないではない。
またこんどもどってこよう。以上、報告おわり。