アフリカ国旗の色について。緑は希望または森林資源、黄色は太陽もしくは天然資源、赤は力と熱意、そして独立のさいにながされた血をあらわしていることがおおい。
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コンゴばなしのつづき。
コンゴはバンツー語で「山々」の意。コンゴ共和国とコンゴ民主共和国があり、共和国はもとフランス領で首都はブラザビル。民主共和国はベルギー領で、こちらの首都がキンシャサである。
どちらも1960年に独立し、民主共和国のほうは1971年~1997年のあいだ川の名まえであるザイール―「本流」の意―を名のっていた。現在のコンゴ川である。
国民的スポーツは、共和国のほうはふつうにサッカーだが、民主共和国は「魔法プロレス」だという。なんと相手に魔法をかけてたおすらしい。気になるなあ。
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それはさておき、わかる範囲で図書館でしらべたところ、13世紀から17世紀までのあいだに、コンゴではいくつかの王国ができていったらしい。コンゴ王国、ルバ王国、ルバの貴族階級が分裂してできたルンダ王国、クバ王国などである。
これらの王国ができるあいだに、ヨーロッパの貿易商人や宣教師たちがはいりこんできた。1490年代にポルトガルからローマ・カトリックの宣教師がはじめてやってきたとされている。
16世紀にはいると、商人たちは奴隷貿易を拡大していき、王国の国王や地域の首長のなかには、その手先となったものもいたそうだ。まえにシャカ王国とズールーについてしらべたが、どうやらアフリカ人どうしでもそうした非道が行われていたらしい。
独立後の経緯はしらべきれていないが、ベルギー領コンゴは、はじめコンゴ共和国として独立し―いまのコンゴ共和国は当時はコンゴ人民共和国とよばれている―ものの、民族対立や内戦があいつぎ、1965年に軍の最高司令官であったモブツ・セセ・セコがクーデターで政権についた。
このモブツが民族の対立を利用して反対勢力を弱体化させ、外国からの経済支配をなくそうと起業や土地を国有化した。国名をザイールに改めたのもモブツ政権である。
結果として企業や農園の経営は悪化、先進国から多額の借金をすることとなり、90年代はじめに財政破綻する。モブツ政権がたおれて独裁がおわり、コンゴ民主共和国となって現在にいたる、ということのようだ。
例のコンゴ風ルンバの黄金期は独立まえだから、仏領とベルギー領にわかれていた時代ということだろう。くわしい経緯は、しらべればすぐわかることだろうが、しらべてそれがわかったからといって、べつにどうというわけではないので、この辺でやめて置く。
以上、報告おわり。