ドバラダ飛空船〜ブルースからハワイまで〜

ギターをひいたり真空管アンプをつないだり

かいま見ドブロ史

 Dobro・・・ドピエラ・ブラザーズの略。スロバキア語で「good」を意味する。

 

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 ドブロギターばなしのつづき。

 

krokovski1868.hateblo.jp

 

 ドブロが生まれたのは1920年代のことで、当時はエレキがなかったため、音量を稼ぐためにこのようなギターが考案された。初期はスクエアネックで、弦高はたかく、抱えてプレイするのはむずかしかった。

 

 そのころのギタリストたちは管楽器にまけない音量のギターをもとめていた。しかしながら、ピックアップもアンプもなしに音を大きくするというのは、たいへんなことだった。

 

 ミュージシャンでボードヴィルのプロモーターでもあったジョージ・ビーチャムという人物が、ジョン・ドピエラにギターの制作を依頼したところから、はなしは転がりはじめる。ジョンは1908年に兄弟とともにスロバキアからアメリカへ渡り、LAに店をかまえてギターやバンジョーフィドルの制作と修復をしていた。

 

 大きなアルミのシングルコーンをつかったプロトタイプを最初につくったものの、満足のいく出来ではなく、コーンの数をかえるなど、工夫をかさねたすえ、3つのアルミコーンをつかった―トライコーンである―T型スパイダーのメタルボディが採用された。

 

 1927年につくられたこのスタイルのギターがナショナルである。まえにでてきたハワイ模様の刻まれたギターはこれのことだった。

 

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 ナショナルのギターをつかってはじめてレコーディングをしたのが、これもまえにでてきたソル・ホーピイである。

 

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 タンパ・レッドもナショナルをつかっていたし、ブラインド・ボーイ・フラーもそうだったらしい。

 

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 このように、ナショナルのギターは大ヒットしたものの、経営陣への不満から、ジョンは1929年にナショナルを抜けることになる。もうけたおかねでパーティに明け暮れる日々に嫌気がさしたとか、根拠のないアイディアに湯水のように開発費をつかうのが嫌になったとか、いろいろあったようだが、ジョージにシングルコーンの特許をとられたことがとどめをさしたらしい。

 

 当時はいわゆるローリングトウェンティーズで、アメリカは未曾有の好景気に湧いていた。F・スコット・フィッツジェラルドの時代である。

 

 ナショナルを抜けたドピエラ兄弟はドブロコーポレーションを設立、あたらしいシングルコーンのモデルの制作に着手する。これがスパイダーコーンで、安あがりなうえ、トライコーンより大きな音をだすことができた。

 

 ジョンは、兄弟のルディとともに、ナショナル時代からアイディアをあたためていたのである。このシングルコーンのあたらしいリゾネーターギターが、ドブロである。

 

 いっぽう、ナショナルはナショナルで、シングルのビスケットコーンを開発―これはジョージが特許をとっているが、ジョンがナショナルを去るまえにつくっていたともいわれている―し、それから数年のあいだ、ドブロとナショナルは市場をあらそった。特許の侵害のことで法的にもたたかったらしい。

 

 結局、30年代の不景気のなかで放漫な経営をしていたナショナルはかたむき、ドプロが勝ちこした。1932年末時点で、ドブロ社はシカゴのリーガル社にライセンスをあたえ、必要なメタルパーツを供給し、ミシシッピでドブロとリーガルのロゴをいれたギターを製造していた。

 

 1934年にナショナルが倒産すると、ドブロ兄弟はナショナルの支配権を得て、ナショナル・ドブロ・カンパニーを設立した。この時点で、トライコーンとシングルコーンが、ひとつのブランドのもとにまとまったことになる。

 

 その後、ナショナル・ドブロはエレキの波に押され、 本社をLAからシカゴへ移し、1937年にはリゾネーターギターの生産をすべてリーガルにまかせた。大戦中は物資を節約するためギターの生産は停止され、やがて再開されると、ヴァルコ社―真空管ギターアンプをつくっていた会社でもある―がナショナル・ドブロの名称を買いとり、ドピエラ兄弟はヴァルコのもとでリゾネ―ターギターをつくりつづけた。ヴァルコは1968年に廃業し、その前後にセミ―・モズレー―モズライトのひとである―にドブロの名称を売ったり買いもどしたりした経緯もあったようだ。

 

 1993年にギブソンがドブロ社を買収、生産拠点をナッシュビルに移した。現在はギブソン傘下のエピフォンがドブロギターをつくっており、むかしのドブロとナショナルは、コレクターズアイテムとなっている。

 

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 じつは途中でアドルフ・リッケンバッカー―いっときビートルズがつかっていたあのリッケンバッカーである―がでてくるのだが、ながくなるので割愛した。ナショナルを去ったジョージ・ビーチャムは、リッケンバッカーの協力をえてエレキギターを売りだすものの、42歳の若さで事故で亡くなっている。

 

 ナショナルは、ライ・クーダーやボブ・グロスマン、マーク・ノップラーらの使用によって再評価の機運がたかまり、1989年、ビンテージナショナルの修復家であったドン・ヤングとマクレガー・ゲインズが、ナショナル・レゾフォニック・カンパニーを設立し、往時のギターを復活させている。ホームページをみると、現在もカリフォルニアで製作をつづけているようだ。かなり立派な値段がついている。

 

 ひととおりウェブをながめたかぎり、オリジナルのナショナルもドブロも、かなりたくさんのモデルがでている。詳細には立ち入らないが、ものすごくざっくりいうと、メタルボディでトライコーン、椰子の木が描かれていたらそれはナショナルであり、ウッドボディでシングルのスパイダーコーンなら、ドブロである可能性がたかい。

 

 もっとも、ドブロもメタルボディのギターをつくっているし、ナショナルもシングルコーンのモデルをだしているので、もしふるいリゾネーターギターをみかけたら、ロゴはもちろん、シリアルナンバー―ボディの内がわ、ネック付近に刻印されている―と、仕様を確認するのがよさそうである。逆にいうと、それらをみれば、いつのどのモデルかは大体わかるようになっている。

 

 一般に、アンティークとは製造されて100年たったものをいう。したがって、ふるいリゾネ―ターギターは立派なアンティークといっていい。フィッツジェラルドの時代につくられたギターをもつというのは、すくなくとも私には夢のあるはなしにきこえた。

 

 とはいえ、往時の品そのものをもとめるとギャツビーの二の舞になりかねないので、どちらかといえば、おかねをためて再生産されたナショナルを狙ったほうが、堅実ではあるだろう。国内相場もふくめこれも要継続調査。

 

 ともかく、まずはドブロの現行品を触って、つかえるようならかんがえるし、ダメならおかねをためつつ根気よくナショナルをさがそう。サン・ハウスとタンパ・レッドというマイフェイバリットのふたりがナショナルつかいで、噂のソル・ホーピイもそうときけば、ナショナルがどうしても気になる。

 

 ・・・T型のアルミニウムトライコーンか。やれやれ、またさがしものがふえてしまった。

 

Tricone Patent