ドバラダ飛空船〜ブルースからハワイまで〜

ギターをひいたり真空管アンプをつないだり

音楽を聴こう46 ~アメリカン・フォーク雑感~

 『Troubadours of the Folk Era Vol. 1』(ライノレコーズ、1992年)

 

 おもに1960年代前半のフォークを網羅したコンピレーション。ツーフィンガーのプンチャンサウンドから、フィドルバンジョーをつかった編成、スライドギターから語りものまで、はばひろく収録されている。

 

 聞いていると、フェアポートコンベンションとか、ペンタングルとか、ブリティッシュフォークのイメージもうかんでくる。じっさい、ラストはドノヴァンの『Catch The Wind』で〆ている。

 

 とはいえ主調となるサウンドはあきらかにドライ。一般に、こうした英米の音像のちがいは、心情的な部分もふくめた湿度のちがいとして説明されることがおおく、私もそうかんじる。じっさいはスタジオのちがいというか、録音機材をふくめた環境のちがいなのだろうとおもうけれど、理屈がどうなっているか知らない。

 

 フィドルバンジョーをつかった編成についていえば、フォークやカントリーには根づよく生きのびているが、ブルースのほうではギターにとってかわられてしまった。それというのは、カントリーブルースが本質的におひとりさま向けだったからではないかとおもう。フォークやカントリーのひとたちはバンドを組むのも容易だった、とまではいえないだろうが、ホーボーといったらまずはアフリカン・アメリカンたちだったのはたしかだろう。

 

 こういうしっかりしたコンピレーションをきいていると、結局、トラッドというか、フォークソングとカントリーブルースは、パッと見はかなり似ていることがあっても、中身はあきらかにちがうことが首肯される。その点をしいて乱暴につづめるなら、歌詞とブルーノートとグルーヴになるかとおもう。

 

 フォークはブルースにくらべて歌詞がはるかに聴きとりやすいし、何をいっているかわかりやすい。いっぽうのブルースは、訛りもつよいし、歌詞もくりかえしがおおいし、符牒のような語彙ばかりで、知らないひとがきいてもさっぱり意味がとおらないということに、なるべくしてなっている。

 

 フォークのなかにプロテストとホーボー的側面があり、60年代以降、前者の比重がましていった、というふうにとらえることもできるかもしれない。いっぽうでブルースにおいてはホーボーがもうしばらく生きのびた。当然ながらブルースはなんだかんだ明朗快活というわけにいかないし、もともとプロテストとは縁遠かったためである。

 

 サウンドにかんしては、たとえばフォーク・バラッドは明確にマイナーである。そのまま日本語フォークにもってこられるし、じっさい60年代にはすでにもってきている。

 

 カントリーブルースのほうは、もってこようにもこられなかったのではないかという気もする。要はグルーヴとフィーリングが血肉化していなかった。ブラックネスというか、おっちゃんグルーヴのはしりは細晴臣氏のベースラインだったようにかんじるが、これもあっているか知らない。

 

 アメリカのフォークを乱暴に俯瞰するならば、40年代から50年代に向けて盛りあがるかとおもうと赤狩りにあって下火になり、50年代はロックンロールやハードバップに主役をうばわれる。1958年にキングストン・トリオがトラッドの『トム・ドゥーリー』をヒットさせたあたりから風向きがかわり、60年代をつうじて、ポップでモダンな作風と、プロテストを前面にだした作風とに、いくらかわかれていく。本作はそこの部分をとらえているとみることもできるだろう。

 

 たとえばブラフォーなどは、カレッジフォークというくくりで前者からはじまり、じょじょに後者とミックスされていった、というふうに理解することもできるかもしれない。こういうのはどっちかだけというよりは、アーティストのなかに併存しているケースがおおい。とくにながく活動しているひとはそうなっているのではないかとおもう。

 

 つまるところ、40年代をつうじてフォークのなかのプロテストとホーボーがひとつのピークをむかえていたのではなかろうか。それがウディ・ガスリーとレッドベリーの録音であったととらえても、あながち的外れではないだろう。そして、抗議と放浪のどちらもが、戦後の保守化とはおりあいがわるく―めちゃくちゃないいかたをすれば保守は右にちかづき、現状に抗議すると左にちかづいていく―、左派とみなされてパージされてしまったということではあるまいか。

 

 60年代にはいって、戦後生まれの若者たちが、体制に反抗するにあたって自分たちによりそうものとしてえらんだのがフォークであり、もっといえばそのプロテスト的な部分であった。見方をかえると、このころにはすでにフォークの放浪的側面というのは、かなりうしなわれていたのではないかという気がする。それだけ戦後の発展がすすんで、さまざまなところで格差は固定されてしまっていた。ホーボーなフォーキーといわれてもランブリン・ジャック・エリオットくらいしかおもいつかない。

 

 むしろ、放浪の側面というのは、ギンズバーグやケルアックらビート詩人たちに受け継がれていったとみたほうが、妥当なのではないかとおもう。そうしたトルバドールたちと本家の子がディランであり、遠縁の放蕩息子がイーグルスであるといっても、いいすぎではない気がする。

 

 そんなわけで、いまのところ私は、60年代以降、ブリティッシュ・インヴェイジョンまでのあいだ、ホーボーは主としてブルースにいきのびたのではないかとおもっている。あっているかは知らんよ。

 

 以上、報告おわり。