万年筆のインクが紙のうえにのってかがやいている。戦前ブルースのピアノのように、筆をおもく転がしていく。
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なぜ音をだすのか? 自分自身を知り、行きかたを練るためである。岩もそうだし、釣りも同様である。
もっといえば、理屈をつける必要などない。心身の錬成だとか、健全娯楽であるとか、いってみることはできるし、それはそれでその通りかもしれないが、あそびは元来そんなものではない。
あそびとは、ひとの暮らしの、ありのままのものである。健康を釣る、などと理屈をつけるのは、それはもう釣りではない。何かべつのものだ。
ただ釣る。ただ登る。ただつまびく。畢竟、そういうことではあるまいか。ユリイカするたびに仕合わせをあじわうのである。
以上、報告おわり。