かき鳴らすという動作をあまりしなくなった、といったそばから、ストラミングするパッセージがでてきた。
アイディアのみ。曲名は「グイングイン・ラグ(仮)」。
ストラトつかいがたまにだすtwangyなイメージ。とはいえグーグル先生によれば、トワンギーというのはテレキャスターの音にあたえられる形容詞なのそうだ。知らなんだ。
モノトニック・ベースでシンコペーションもろくにないのにラグも何もないが、気分はビッグ・ビル・ブルーンジー。
しかしこのFG、とにかく倍音がでない。低域もふくらまないし、大の大人がセーハしきれないほどネックが曲がっている。御しきれずにあがいていたら、期せずして戦前の録音のような雰囲気になっていた。
戦前ブルースのギターの音は、ハッキリいってよくないとおもう。味も何もそれ以前の問題である。録音環境もよくなければ、機材も未熟だし、もちろん編集や加工など一切なし。ただテープをまわすのみである。
だいいち彼らはレコーディングに時間をかけていない。1曲数テイク、せいぜい数日やったらハイおしまいである。
だからというべきか、のこされている音源、とくにインストの作品は、超絶技巧であることが多い。正確無比なフレージングとタッチ、強弱、盤石なタイム感。メカニカルな演奏スキルという点では、いまのギタリストとかわらんのではないかという気さえする。
とはいえ、これもむちゃくちゃなことをいえば、テープの回転数がちがうせいもある気もする。むかしの音源で早回しになっているものは、ボーカルのキーは高くなるし、テンポもはやくなってギターがよけい技巧的にきこえている可能性はある。じっさいにテープレコーダーに録って早回しするとわかるが、ニュアンスが消えて音もそろってくるから、ますますメカニカルにきこえている線はある。
いっぽう、弾き語りのほうは、歌声だけですでに優勝しているひとがほとんどである。職人的なギターをひく伴奏者として、ヒューバート・サムリン、スクラッパー・ブラックウェル、ロバート・ジュニア・ロックウッドなどをおもいつくし、ほかにも大勢いるだろうが、けっして多数派ではない。その彼らにしても、トーンにこだわりがあるとか、そういう感じはうけない。
ブルースはシンプルきわまりない音楽形態なので、フレージングよりはトーンが際だつものなのに、当の本人たちはあまりそれに気を配っているようにみえない。ところがじっさいは逆で、劣悪な録音だというのに、声とギターをきいただけで、誰をきいてもそれとわかるようになっている。どうなってんの?
といって、彼らに新品の弦を張ったすてきなギターをわたし、最新鋭のスタジオにいれて、一週間もかければ当時よりはるかにいいものができるかといったら、そうはならないという確信めいた予感がある。まえにも書いたが、ブルースマンというのは根本的にアルバム制作に向かない種族だとおもう。
レコーディングアーティストとは対極の地点にいる彼らを無理にスタジオに呼ぶくらいなら、演奏しているところにこちらからでむいて、その場でおもむろにすてきな楽器をわたして適当に録音したほうが、まだ効き目はありそうにおもう。いまの機材ならそれも可能だろう。
だいいち、不用意に早めに楽器をわたすと質に入れられちゃいそうである。なんせあのジミヘンでさえ、キャリアの初期はギグがあるのにギターが質に入っていたくらいだから、新旧問わずブルースマンというのはそうしたもののようである。
なんだかんだいいつつ、こういう音は好きというより染みこんでしまっているから始末にこまる。とくにスライドはむしろ魅力的にきこえる。タンパ・レッドなどはその好例ではないかとおもう。
ともあれ、病が癒えたら、まずは牛骨ナットをさがそう。以上、報告おわり。