ドバラダ飛空船〜ブルースからハワイまで〜

ギターをひいたり真空管アンプをつないだり

ジャンゴ

 映画のタイトル、ではなくて。音楽のはなし。

 

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 妻子とともに実家に日帰りででかけてきた。MJQの『ジャンゴ』があったはずなので、真空管アンプで鳴らして記事を書こうともくろんだものの、そう甘くはない。あげくもちかえるのも忘れてさんざんだった。

 

 ジャンゴ・ラインハルトといえば、火事で指を負傷して人差し指と中指しかつかえなかったのに、この絢爛華麗なフレージングはどうだろう。技術を担保とした漂泊の暮らしにつむがれる音はつむじ風のようにつきぬけ、つかのま聞くものを陶酔させてしまう。

 

 ちかごろではこういうのはマヌーシュ・ジャズというそうだ。むかしはジプシー・ジャズといっていたとおもう。学生のころジャンゴをきいたときはリズムギターはスウィングではなく2ビートだとおもったのだが、ちがっていたかもしれない。そしてあの楕円形ホールのギターには、気やすく買えそうにない値札がつけられている。

 

 かたちからはいろうとすると結構なおかねをとられるようになっているのは、いつでもどこでもそうだけれど、このところそれがはなはだしいのと、それ以外の選択の余地がすくなくなっているようにおもう。メーカーが以前よりてっとりばやくストレートにおかねをとりにきていると感じる。製品も、売れるとわかっているもの、売上が見こめるものだけをつくるというやりかたになってひさしい。要は余裕がないのだ。

 

 だから、ちょっとヘンなものや実験的なもの、いいかえれば一点突破しようとしてしきれていないものとか、いきおいでつくっちゃったものとか、アイディア先行でおもしろいけど儲からないものとか、ポテンシャルはすごいがピーキーすぎてつかい手が見つからないとか、そういう、つくり手のひらめきというか、受け手を触発するサムシングというか、おもしろがらせる部分が、へっている気がする。

 

 ならばいにしえの名品をさがせばいいかというと、上述の事情で古い品物の価値は相対的にあがっていて、すでに手はとどかなくなっている。そうなると探せるのはむかしのヘンなものシリーズのなかでもさらにとがったもの、好事家のなかにはもっているひともいるがプロはまず現場ではつかわないような品、そういうところはまだ真空地帯になっていて、お値打ちということばもまだかろうじて生きのびているようにみえる。

 

 当時のB級品で、いまはベースラインがさがっているものなどは、経年変化がうまく作用すると、S級にはならないが、いまのA級にはへんげする可能性がある。金銭的なせどりにはならないが、価値のせどりにはなるので、埋もれた宝をさがしたい種族にとっては、このへんがねらいめになるのではなかろうか。なんのはなし?

 

 このようなhidden gemをさがして生きるということが、いち個人がおもしろく暮らすためのひとつの行きかたになりつつあるのではないか、というはなし。アトミズムの見本のような小市民が、忘れさられた品々をそっとあそぶ。それらに触発され、インスピレーションをもらい、こころの張りをとりもどす。懐古趣味におちいらぬよう、気づかいながら、あたかも触媒をもとめるように、ガラクタの宝をもとめて彷徨する。

 

 ひょっとしたらそれが令和の無用者にもとめられる資質のひとつになるのかもわからない。以上、報告おわり。