半年ぶりにマーティンに弦を張った。ネックが若干ねじれているので、無理はできないし、オープンDではなくオープンGにしている。すこしでも6弦がわのテンションをさげようというつもりである。
なんとなくオープンGにすれば勝手にアーシーな響きになるだろうと期待していたら、それ以前にまるであやつれない。いつのまにかオープンDつかいになってしまっている。GキーですらオープンDのほうがやりやすい。
それはともかく、マーティンはやはり響きがゆたかだし、単音に説得力がある。弾いているときにネックまで振動しているのが伝わってくる。ギターに関心のない家人が何もいわなくてもそれと気づいたので、ほんとうにちがうのだとおもう。
たしかに、楽器としての良さでいえば、比較するまでもない。マーティンはオーセンティックである。なんならマーティンに沿ってうたうだけで、宴会の余興くらいにはなりそうである。ジャンクギターでうたうなら、唄がうまくないとなかなかサマにならない。
ずいぶんまえのアコースティックギターマガジンだったとおもうが、インタビューをうけた山崎まさよし氏が、ギブソンをつかう理由について「マーティンと声があればそれだけで成立するが、それがギブソンだとすこし足りない感じになる。そこを弾き手がわでどうにか引っ張りあげるのがいい」という旨のことをいっていたのを読んだおぼえがあるが、似たような意味あいのような気はしないでもない。もっというと、これはどっちがいいというよりは、別世界なんだよな。
その意味でも、このまえも書いたとおり、ジャンクギターでブルースというのはありだとおもう。むしろクラプトンがマーティンでブルースを演奏して違和感がないことのほうが不思議な気もしてきた。
・・・コピーではなく、クラプトンのブルースになっているだからだろう、きっと。このまえのコーコネンとおなじで、他人のブルースをとりあげていても、自分の音楽をかなでている。
なんせオープンGにしたことだし、せっかくなのでオジー・コタニさんの教則本をひもといている。
その経過はまたこんど。以上、報告おわり。