朝起きてごはんを食べ、はたらき、かえってきてごはんを食べ、ねむる。平凡なくらしのなかにしあわせはつまっているという。ほんとうかyo!
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アコースティックギターばなしのつづき。いちおう、例のFG-201はもらった恰好になったので、またもちものがふえてしまった。
まあいい、また返せばいい。そのほうが互収がたかくなって、かえっていいかもわからない。
もちものは整理しないと、ということで、しらべてみたら、FG-201はやはり1970年代後半につくられた廉価品だった。ヤマハのFGシリーズは現在もつくられているらしいので、息のながいモデルではあるみたい。なお、201Bはドレッドノートタイプだそうである。
FGシリーズには赤ラベル、ライトグリーンラベル、黒ラベル、オレンジラベルなどがあり、このうちビンテージ価値のつくのは、赤ラベルからライトグリーンラベルくらいまでのようである。
FG-201の材はやはり合板で、表板はエゾマツ、サイドと裏はサペリとあったが、ウェブ上の情報なのでさだかではない。そもそもサペリということばをはじめてきいた。
例によって市立図書館に日本のビンテージギターにかんする本があったので、さっそく予約した。さぬきにかぎらず、この国の図書館は小市民の味方である。
さておき、もし自分でアコースティックギターを買うことができるなら、ドレッドノートとジャンボはえらばず、FGとドレッドの中間くらいのボディサイズをさがしたい。私の体格ではドレッドノートは抱えきれない、ということはないが、きらくに抱えるにはおおきすぎる。
スライドのことをかんがえると、シングルカッタウェイはためしてみたい。そのまえに、単純に見ためと雰囲気が100なピックギターとドブロに触りたいが、まだみつけられていない。というより、まず腕を上げてふところをあたためないと土俵にあがれない。
そのうえで、いわゆるスタンダードなアコースティックギターを買うとなっても、まだ選択肢は多すぎる。いろいろなギターを弾くことができれば、材についての理解もふかまるとはおもうのだが、いまのところ残念ながらそういった機会はない。
むしろ、いまの流れで作家のことをしらべる過程で、耳の記憶と機材が結びついてくれれば、好みの材もしぜんと絞れてくる気がする。そこまでいかずとも、好みの音のメーカーやモデルは知ることができるだろう。
だから、耳のあそびにおいても書物はちゃんと役にたつ。書斎の釣りならぬギターになっても、それはそれでかまわないだろう。
とはいうものの、ちゃんと食べないと味をおぼえられないのとおなじで、ちゃんと聴かないと音はノウズイに刻まれない。いつまでも工事現場の横であそんでいる場合ではないのである。モニター用のヘッドホン、さがすか~?