飛行船と風船をいっしょにしそうな人間のいうことが信用できるとおもいますか? 信用しないで下さい。
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前回のつづき。
一般に、モーダルな音楽は展開がむずかしい。進行感ではなく色彩の変化になるからだ。リズムにかんしていえば、和声的な展開はむずかしいので、パターンを複雑にながくしていくというのは、容易に想像される。
讃美歌ではそんなに踊る必要がなかったので、10拍子などはうまれなかった、といういいかたもできるかもしれない。むしろ欧州で踊りながら神をたたえる音楽とか、祝いのダンスはどんなふうなのかとか、そういうのが気になってきたが、きりがないのでやめておく。
なんせ、コーダルな展開のすくないところでは、リズムのパターンが複雑にながくなって、ビートの単位もながくなっていったのではないか、ということをいいたい。いっぽう、この国は引き算の美なので、ひたすらに削ぎ落として引いていったら、ながーい1拍子になった、そんな気がする。
ポリリズムといってもマジックというわけではない。踊れるレベルのそれを即興でだせればたしかにスキルはたかいが、きまったパターンを複数人でおりなせば、じゅうぶんな効果を得られる。ただし、そのパターンがながくて複雑なので、慣れていないひとが急に教わってもできにくいというだけである。
かつてフィールドワークで発見されたとき、調査員がトライしてもまったくできないので「これは未知ですごい」ということになったのではないかとおもう。もし私だったらめちゃくちゃビックリしたとおもう。
なお、展開としてはもうひとつ、速くするという行きかたもあるが、これはすぐに頭打ちになるし、技術的な限界よりもはるか手前で踊れなくなってしまう。そのような意味では、バップはジャズをたんなる踊りの伴奏から解きはなち、聴衆を客席に釘づけにしたとみることもできる。エンターテイナーではなく芸術家としてふるまったバッパーたちは、既存体制への強烈なアンチ・テーゼという点で、うたがいようもなくパンクであった。
・・・兎もかく、グルーヴを神秘化しないことだ。不特定多数のひとを踊らせるレベルのそれをだすのはむずかしいというだけで、だれでもグルーヴをもっている。歩きかたもそうだし、書きかたもそうだとおもう。
以上、報告おわり。