ドバラダ飛空船〜ブルースからハワイまで〜

ギターをひいたり真空管アンプをつないだり

原始のスープ

 音楽の正体、などかんがえてもしかたないと個人的にはおもうものの、巷にはこの種の絵解きを仕事にしているひともいるし、それに私にしたところで、もしほんとうに音楽の正体がわかるのなら、それはそれでいいんじゃないのという気持もある。どっちなんだい。


 音楽の正体、とひとくちにいっても、さまざまなレベルとグラデーションがあって、唯一の正答はありえず、またどうせ正答がないなら、無数の誤答のうちに風がわりなのをさがすほうがよかろうとおもう。


 ところで、ジャマイカのレゲエ・アーティストたちのあいだでは、リズムではなくリディムといういいかたがあって、自分もなんとなくつかっているが、ちがいがなんなのか、いまだによくわかっていない。謎である。

 

 しかしながら、謎というのは解けないから謎なのであり、答えがわかってしまえば味がぬけて茶殻や鶏ガラのようになってしまうので、謎はあくまで謎のままにしておくべきだ。すると謎は鶏ガラスープということになるか。おなじ理屈で原始の謎は原始のスープにかくされている、というのはたぶんウソ。

 


 さておき、スープといえばファンクである。ファンクといえばliquidityである。ファンキーなグルーヴをあらわすのに、スープは比喩としてよくつかわれる。それでどうやってつくるかであるが、つまるところ、スープをつくるには飲んで味をおぼえるしかないし、ファンクネスが必要なら、ソウルパワーをとりにいくほかない。


 スープはともかく、ソウルパワーについていえば、濃いところからしかアプローチできないという点は、認識しておいてよい。うすいものをいきなりつくろうとしてもダメである。

 

 グルーヴをある濃度にしたいとおもったら、それよりも濃い原液をつくって、そこからうすめていくしかない。いきなり目的の濃度にしようとしても味はかわってしまう。なぜもなにもありはしない。そういうものなのだ。


 濃淡であらわされ、淡からアプローチできないというのは、ひょっとしたら文体にもいえるかもわからない。詩魂をつくるには、読むだけでは足りないし、ただ書いてもやはりさぐりだせないだろう。


 とはいってみたものの、例によって筆者にできるのは、問いを提出するところまでである。スタコラ サッサ!