『Big Bill Blues』ばなしのつづき。とくにコードのつかいかたにかんして、ビッグ・メイシオー本名はメイジャー・メリウェザーーの影響をうけたようだ。タンパ・レッドを介して知り合ったといっている。
やはりというか、タンパ・レッドがでてくる。ビッグ・ビルがタンパに会ったのは1928年のことで、彼がスライドギタリストを見たのはそれがはじめてだったそうである。そのときタンパはリゾネーターギターをひいていた。
はなしをメイシオにもどすと、メイシオはちゃんとコードを弾かないビッグ・ビルにイライラし、ビッグ・ビルはメイシオがカントリーブルースの流儀をわかろうとしないのでイライラして、それでふたりはよくやりあったそうである。とはいえ、それで相手をやっつけるようなことにはならず、メイシオがうたうときはビルはちゃんとコードを弾き、ビルがうたうときは好きなように弾く、ということで落ち着いたという。
ビッグ・ビルというと、なんとなくマディ・ウォーターズのような親分肌のイメージがあるけれど、根は酒好きで人好きのする男であったのだろうとおもう。唄やギターのまえに、人となりに魅力がなければ、1925年から1952年まで、四半世紀以上もレコードをつくりつづけることなどできはしない。
あとがきのなかで、ビッグ・ビルは自分をジャズミュージシャンではなく、もっといえばミュージシャンでもなく、ウィスキー好きの一介のブルースシンガーであるといっている。彼がリアルミュージックーおそらく複雑なコードを駆使するジャズなどを想定しているーとブルース、コードとサウンドをわけているあたりは興味ぶかい。こっちはビッグ・ビルを洒脱なミュージシャンだとおもっているからなおさらである。
彼にいわせると、ブルースにあうのはコードではなくサウンドなのだそうである。つまり、その日そのときで感じていることはちがうから、いつもおなじコードにはならず、サウンドになるのである。
いったいに、ピアニストはギタリストにくらべて知性派がおおい印象がある。ギタリストのほうは、もちろんちゃんとしたひともいるが、概して適当なことがおおい。
これがピアノとギターの性質のちがいからきているのか、もともとの資質がそれに合った楽器を呼んでいるのか、楽器の特性が弾き手の個性に影響をあたえるのか、たぶんぜんぶだろう。
視覚的に音名がわかりやすく、音程も安定して、打楽器であるピアノ。なんの音をどのタイミングで鳴らすかがはっきりしていて、ごまかしがきかない。
かたや異弦同音がたくさんあり、指板を見ただけではどこにどの音があるのかわかりにくいギター。チューニングは不安定で、鳴らした音もかんたんにゆらせる。弦をつかんではじくので、音量もタイミングも安定しにくい。さながら揺らぎのカタマリである。
「ギタリストはギターをもつとエラそうにするが、ピアニストはいつでもエラそうにしている」というのをきいたことがあるが、あながち外れていないとおもう。そんなことない?