それにつけても、むかしのブルースの、重たく転がっていくピアノのサウンド、あれはなんなのだろう。どういう加減でああいう音になっているのか、いまもってわからない。
ドブロのときとおなじで、いまのピアノとは楽器の仕様じたい、ちがっていたのかもしれない。ピアニストの友だちができたら、聞いてみることにしよう。
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さておき、ブルースばなしのつづき。
ジャズマンもそうだけれど、ブルースマンも戦後になってヨーロッパへツアーしている。レッドベリー、ロニー・ジョンソン、ジョシュ・ホワイト、ビッグ・ビル・ブルーンジー、サニー・テリー、ブラウニー・マギー、マディ・ウォーターズ、など、など。
1950年代はじめごろ、ビッグ・ビル・ブルーンジーの訪英がキッカケとなって、とくにロンドンでブルースブームがおきたらしい。そこからスキッフルがはやってビートルズにつながり、またいっぽうではクラプトンやジェフ・ベックやストーンズにつながって、ブリティッシュ・インヴェイジョンの遠因をなしている。
総じてブルースは50年代はむしろヨーロッパではやっており、アメリカでは60年代にはいってカウンターカルチャーの文脈で再発見されたとおもってそれほどまちがいはない。若者たちが自分たちによりそう音楽として反体制的なサウンドをえらびとったわけである。正確にいえば、よりそったのはブルースよりはフォークであった。ブルースはその母体の一部をなしつつも、プロテストとしては、当然ながら雄弁ではなかったためである。
現在、ブルースはヒップホップにうけ継がれているともいえるし、民族音楽としてとらえれば、ジャズとおなじく伝統芸能にちかづいているともいえる。ジャズがブルースからうまれたというのは、古手のブルースマンが「あいつには俺が教えたんだ」といっているようなもので、それほど実情を反映しているとはおもえないし、だからどうというものでもない。現時点でどちらも流行っていないのがたしかだというだけである。
ハラー、ワークソング、スピリチュアル、フォーク、バラッドがまじりあって、ブルースがかたちをとり、それこそハワイ音楽やメキシコ由来のラテンの影響もうけながら、アメリカ南部を中心に、各地で発展していった、そんなふうに私は認識しているが、あっているかは知らない。
ともあれ、ふるいブルースを時のながれに埋もれさせるのはあまりにさみしいので、極東の島国の一員として、何かしらうけとっていきたいとおもう。以上、報告おわり。