ドバラダ飛空船〜ブルースからハワイまで〜

ギターをひいたり真空管アンプをつないだり

音楽を読もう ~スラックキーの歴史~

 前回のつづき。

 

krokovski1868.hateblo.jp

 

 せっかくオジー・コタニの『Guitar Playing Hawaiian Style』がとどいたというのに、アコースティックギターは夏まけして弦をはずしているし、自家製アンプはダウンするしで、おもうにまかせない。

 

 とりあえずパラパラめくってみたところ、スラックキーの歴史について記載があり、このあいだの概略では拾えなかった内容が書かれていて興味ぶかかったので、以下に要約した。

 

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・スラックキーの歴史

 

 スタイルの変遷を記録した資料はほとんどのこされていないので、スラックキーの歴史は大部分、想像によるほかない。1800年代のはじめごろ、貿易の中心地であったホノルルに、メキシコやカリフォルニアのひとたちがギターをもちこんだ可能性はかなり高い。1800年から1820年ごろのあいだに、メキシコとラハイナ(訳注:ハワイ王国の首都があったところで、捕鯨船の寄港地として栄えたという)のあいだでさかんな交易がおこなわれていた。

 

 ニューイングランドでギターが人気だったことをかんがえると、それ以前にハワイにギターがあった可能性もすてきれない。ハワイに捕鯨や伝道にきたひとの故郷はおおくニューイングランドであった。また、アメリカの太平洋岸北東部とのあいだでも、船の往来があったので、そちらからギターがもちこまれたという線もかんがえられる。

 

 とはいえ、通説では、ハワイ本島で野生化した牛を管理するため、1832年南カリフォルニアからやってきたヴァケーロことカウボーイたちが、ロデオとロープ技術とともに、ギターをもってきたとされている。ハワイのカウボーイであるパニオロにギターを教えたか、パニオロたちが時間をかけて独学で学んだか―こちらのほうがありそうにおもう―ではないかとおもわれる。

 

 スラックキーのスタイルの独自性が、ハワイびとの音楽的な素養と芸術的な資質のあらわれなのはたしかである。あるいは、ヴァケーロたちはハワイにそれほどながくいなかったので、ハワイ音楽にスペインの影響がでるところまでいかなかったのかもしれない。

 

 どちらかというと、ハワイびとがじぶんたちの好みにあわせてーすなわちボーカルの声域にマッチしつつ、自分たちになじんだリズムパターンでうたを伴奏しやすいようにー、ギターをチューニングしたというほうが、ありそうにおもわれる。

 

 それまでハワイにはジューズハープ(訳注:口琴ウィキペディア教授の音源ではトーキングモジュレーターのようにきこえる)に似た「ウケーケー」(訳注:ukeke、母音eの上に横線がはいっており、横線は長音記号で「カハコー」という。正確な発音は不明)をのぞくと、もともとは打楽器しかなかった。したがって、スラックキーがハワイのチャントとフラの伝統をふまえた反復的なリズムに特徴をもっているのは、しぜんな成りゆきであるといえる。

 

 スラックキーがおおきく発展したのはデービッド・カラカウア王のころで、彼の王が1880年代から90年代にかけて、自国の文化的復興につとめた。じっさい、1883年の即位および1886年戴冠式のおり、チャントとフラが奏された。当時、こうしたむかしながらの音楽は、宣教師たちから異教的とみなされ、退けられていたのである。

 

 カラカウア王は、自国の文化を復興することが、王国をながく支える根になるという信念をもっており、そのおかげで、今日にいたるまで伝統的な音楽やダンスが生きのびてきたといっていい。

 

 王はいにしえの音楽を保護するいっぽう、そこにウクレレやギターなどの外来の楽器を加えることにも熱心だった。じつのところ、この王の戴冠式で、イプー(訳注:ひょうたんでつくった打楽器)とパフー(訳注:ココナッツなどの胴に鮫皮を張ったもの。非常に神聖な楽器とされている)という伝統的な打楽器とともに、ギターが演奏されたのである。以降、これがフラ・クイとして、従来のフラとならんで確立されていった。

 このように新旧を積極的におりまぜていったおかげで、ひとびとのあいだでギターやウクレレの人気がたかまっていった。

 

 現在、スラックキーギターはひろく演奏されており、そのサウンドはハワイにとどまらず、世界にひろがっている。さまざまなスタイルが発展し、うたの伴奏だけでなく、ソロギターの形式においても、名手たちがたくさんのうつくしい作品を生みだしつづけている。

 

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 ぼちぼち日本語の資料もあたっているが、ハワイがおもいのほか激動の歴史をたどっているうえに、ハワイと日本の関係も相当ふかい。なんなら上述のカラカウア王が明治時代に来日している。

 

 「かめはめ波」と『南の島のハメハメハ大王』しか知らない筆者がそれなりに把握しようとおもうと、相当な時間がかかりそうである。ひとまず経過報告。