練習メモのつづき。
・漫然と弦をゆらさない。ギターに音をつたえるつもりでひく。
・つねにきかせる相手を想定して音をだす。いなければ部屋の机でも椅子でも壁でもかまわない。
・噛みしめないために、くちずさみながらひく。または、ひいている音名をいいながらプレイする。
・ギターをかたい木のカタマリとしてではなく、生きものとしてあつかう。万年筆のときとおなじ。
・自分のトーンを自分で客観的に聞くことは物理的に不可能。録音した自分の声が他人のもののようにきこえるのとおなじ。したがって録音することが不可欠。
・右手を弦にできるだけ触れさせる。弦のうえに置くか、のせるかする。
・弦をはじかない。つかまない。つかまえない。ささえて、水平方向にゆらす意識をもつ。
あたりまえのはなしだが、いいギターだからといって、誰がひいてもいい音がでるわけではない。キーボードのうえを猫があるくのとはちがうのだ。ちかごろはそれにさえも強弱がちゃんとつく。
自分の指でトーンをつくっていくというのは、プロだけのはなしかとずっとおもっていたが、こころがけはアマもおなじ、というより、それが楽器演奏というあそびの要諦のひとつなのではないかということに、いまごろになって気がついた。おそいyo!
ギターのネックは首で、バックは背中、ボディは胴体、ヘッドは頭。文字どおり、そういう生きものと心得る。いろいろなギタリストがいろんなところでいっているが、まるでわかっていなかった。冗談かとおもっていた。
ギターも万年筆とおなじである。生きものというのがしっくりこなければ、どちらもむかしながらの道具である。すなわち一体感をだすとパフォーマンスは向上する。順番は逆になるが、そのための工夫ととらえてもかまわないとおもう。
万年筆につづいて、FGも20年たってなじんできた、というよりは、道具への接しかたを理解するのに、それだけの時間がかかったということかとおもう。あまりにもおそすぎてわれながらあきれるが、それでも気がついたのはいいことだ。
あたりまえついでに申し添えるなら、技術をきかせるものではない。アマチュアの技術など知れている。音をつくっているところをきいてもらうだけである。
したがって、うまいもへたも関係ない。ひきながら気分よくなっているか、きいているほうに気分のよさが伝わっているかだけである。これがgood vibesというやつだということに、これもようやくおもいあたった。
・・・つくづくあたりまえのことばかり書いている。「結論はいつもあたりまえだ」ということでおわっておこう。アディオス!