ドバラダ飛空船〜ブルースからハワイまで〜

ギターをひいたり真空管アンプをつないだり

詩歌管弦

 あいかわらずほとんど毎日ギターを弾いている。先日、岩に押されて、いち日触らないでいたら、ほんとうに後退した。

 

 どんなレベルでも、触らないと後退するものらしい。ミスタッチが増え、リズムもわるくなり、ダイナミクスもなくなる。楽器との一体感がさがるので、表現のレベルがさがる。しばらく弾いていなかったギターが鳴らなくなる原因のいくらかはこれではないかという気がした。

 

 練習して、慣れてしまうと、こなれたところでプラトーになってしまうが、練習をやめると、そこからも下がってしまう。クライミングとなんらちがいはない。

 

 つまるところ、すると決めたことは継続するほかないという、あたりまえのところに着地しつつある。見方をかえると、われわれが何かとともに生きるとき、心技体の心に軸足を置いていると、ながくあそべるということかもしれない。釣りが趣味の終点といわれる理由も、そうしたところにあるのではないかとおもう。

 

 私のクライミングはいずれハイキングになり、散歩に収斂していく気がしている。ギターがどうなるかは目下検証中である。

 

 こんなふうにかんがえてくると、文章を書いたり句をひねったりするのは、ながくつきあえる趣味といっていいのかもわからない。以上、報告おわり。

 

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