ドバラダ飛空船〜ブルースからハワイまで〜

ギターをひいたり真空管アンプをつないだり

イースだブルース

 前回のつづき。

 

krokovski1868.hateblo.jp

 

 せっかくなので、ブルースという音楽がどんな風に生まれたのかについて、この機会にすこしまとめてみた。

 

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 ブルースがいつごろ生まれたかを正確に記述することはできないが、19世紀末にミシシッピデルタで生まれた公算が大きいとされている。ほかのあらゆる音楽と同様、ブルースもある日突然生まれたわけではなく、徐々に進化していった結果として形づくられた。

 

 したがって、ブルースの起源を知るためには、その先触れとなるものを見ておかねばならない。つまり、アフリカから黒人が奴隷としてアメリカに連れてこられた17世紀初頭まで、さかのぼる必要がある。

 

 奴隷貿易に関与したヨーロッパ人は、船がアメリカに到着するまえに、彼らから可能な限り文化を剥ぎ取った。しかしながら、アフリカの人々の日常には音楽が根深く染みついていたため、それを引き離すことはできなかった。

 

 奴隷として送り出された人々の多くは西アフリカ出身で、そこでは実質的にあらゆることが歌と踊りで祝われていた。奴隷にされた西アフリカのひとたちに音楽を禁じるのは、殺すも同然の仕打ちだったのである。

 

 とはいえ、奴隷主となった白人たちが、西アフリカの音楽的儀式を無条件で受け入れたわけではない。リズムや詠唱の中に反抗的なメッセージが隠されているのではないかと疑い、奴隷による音楽をすべて禁じる者もいた。一部の奴隷主は一定の条件下で音楽を許可したが、とくに多かったのは「畑の中に限る」というものだった。生産効率が向上したからである。

 

 リベラルな奴隷主は、監視つきではあるが、休憩時間や休日に歌と踊りを許可した。少数派ではあったけれど、一部の奴隷を西洋の音楽理論で訓練しようとする者もいた。白人同士のパーティーのようなプランテーションでのイベントで、客をたのしませることがその目的であった。

 

 このように特別に訓練された奴隷以外の黒人に、土着の音楽とは別の音楽的祝祭に参加する機会を真っ先にもたらしたのは教会である。18世紀初頭、「大覚醒」として知られる信仰復興の時期には、異教の奴隷をクリスチャンに改宗させるのがひとつのブームとなっていた。その結果、白人の教会から聞こえるサウンドとは異なる黒人のクリスチャン音楽が誕生し、やがてそれはニグロ・スピリチュアルと呼ばれるジャンルを生みだした。

 

 ブルースはこのニグロ・スピリチュアルに影響を受けたほか、最も原始的な黒人音楽であるフィールド・ハラーから多くを借用することになる。フィールド・ハラーは個人が歌うもので、退屈な労働や孤独を紛らわせるために歌われた。聞き手はめったにおらず、なんでも思ったことを歌うものだった。時代的には奴隷解放の頃に生じた音楽であるといわれている。

 

 それに比べると労働歌(ワーク・ソング)はずっと組織的な音楽表現だった。それらの多くは集団で働く人々、とりわけ綿花摘み、線路敷設工、堤防工事の人夫といった、一定のリズムでユニゾンで動くことの多い労働において歌われた。

 

 黒人のフォークソングもやはりブルースの母体となっているが、その一部は労働歌とみなすこともできた。それらはたいていの場合、聴衆に向けたなんらかの教訓を含んでいた。

 

 スピリチュアル、フィールド・ハラー、労働歌、フォークソングという19世紀の黒人の音楽形態は、ブルースを形づくる最後の重要な要素、ミンストレルと融合する。南北戦争の何年もまえに生まれたミンストレルは、焼きコルクで顔を黒塗りにした白人の歌手や役者が、主として北部に暮らす白人を相手に、南部のプランテーション暮らしをあざけった歌劇を行うというものだった。彼らは黒人のスラングや迷信、身体的特徴、そして南北戦争以前のアメリカに置かれた黒人の境遇にまつわるほとんどすべてを笑いものにした。

 

 奴隷解放南北戦争終結を経て、白人のあいだではミンストレルの人気は低下する。しかしながら、ミンストレルはそのまま消滅したわけではない。なんとかエンターテイナーとして生計を立てたいと願う黒人のシンガーやダンサーが、このスタイルをとりあげた。黒人のエンターテイナーは歌と踊りの寸劇をミュージカル・コメディーの形態として自分たちの同胞に提供し、そうするなかでミンストレルに新たな生命を吹きこんだ。黒人のミンストレルは1870年代後半にピークを迎えることになる。

 

 1890年末までにブルースはこれらすべての影響をとりこみ、この時期のミシシッピ・デルタで栄えたプランテーションで、独自の形態に進化を遂げていた公算が大きい。総じて、初期のブルースは、スピリチュアルやフィールド・ハラー、労働歌、ミンストレルなどの要素が混じりあってできたということができそうである。

 

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 と、こう書いてはきたものの、筆者もこの種の音楽や歌劇をしょっちゅう見聴きしているわけではないので、ピンと来ない部分は多い。映画などにでてくるフィールド・ハラーや労働歌を聴いてきた限りでは、ぜんたいの歌いかたやコール&レスポンスなどはカントリーブルースに似ているように思えるが、これも逆輸入というか、ステレオタイプ化されたイメージかもしれず、なんともいえない。

 

 ・・・しかしカタいな。ひとまず今日はここまで。(この項了、次回でおわり)