グルーヴのポケットはさがすものではない。たたかいにおいて敵の隙をさがすものではないのとおなじだ。さがしたところで自分の隙がふえるだけである。同様に、ポケットをさがそうとしてもグルーヴ強度はさがるだけだ。
メトロノームを2、4できいたり、裏できいたりするのは、タイム感をやしなう以上に、まわりの音をきくためであり、ただ音を置きに行っても意味がない。自分からリズムをだしていくことがだいじで、メトロノームの顔色をうかがっていてはいけないのである。
譜面をコピーしようとするとイマイチなのに、好きに弾くとマシになることがあるのは、コピーの場合、とりあえず音を置けるようになって、そこからグルーヴをだしていくのに対し、コピーしようとしなければ、グルーヴできるように音が置かれていくからではないかとおもう。
要はひとまかせだと置きに行く癖がつきやすい。1があるから2があり、3があるから4がある。4があるからつぎにすすんでいく。
何はなくともまずは拍の頭と小節間のつながりではないかとおもう。1-2-3-4-1-2-3-4ではなく、1-2-3-4-5-6-といく。じっさいはループしているわけではなく、曲は進行していく。
弾いているほうも聴いているほうも、じっさいに移動しているわけではないのだが、その場にとどまっているイメージではないような気がする。よくいわれる「グルーヴを楕円のようにとらえる」のはいいとおもうけれど、もっといえば螺旋状にすすんでいるのではないかと自分ではおもっている。
めちゃくちゃなことをいうと、私は、ながく取り組んでもなかなかうまく調御できないことがらは、どこかに螺旋のイメージがでてくるような気がしている。岩登りにおけるムーブもそうだし、パフォーマンスの長期的な波もそう。だから、というわけでもないだろうが、曲のなかでのグルーヴのイメージも、螺旋なのではないかとおもう。
信用しないで下さい。以上、報告おわり。