前回のつづき。セゴビア感想文。
複雑な文様がつぎつぎにあらわれてはきえていく。一定のルールにもとづいて非常に緻密かつ精巧に織られていることは伝わるのだが、それらが何を意味するのかわからない。硬質な叙情があとにのこされるのみである。
むかしグレン・グールドの『ゴルトベルク変奏曲』をきいたときも似たような感覚をもった。もっとも、こちらは叙情ではなく奇妙なねじれのようなものを放散しているせいで、いまだに聞き通せていない。
そこへいくとセゴビアはだいぶ親しみやすい。スペイン民謡をきくような感覚で、とりあえず聞くことができる。大人の風格というか、包容力を感じる。
つまるところ、どういうスタンスをとればこういうスタイルの音楽を快適に聴くことができるのかは、依然として私にはわからない。油断すると曲のどのへんにいるのか、はじまったのかおわったのか、わからなくなってしまう。したがって聞いていると途中でどうしてもつかれてくる。
峻厳重厚よりは穏健軽妙を目ざして行けということかもわからない。以上、報告おわり。
P.S. 音源フェアウェルをしようとしたら、叔母からもらったレコード箱から『ゴルトベルク』がでてきた。やはりこの盤は有名なのか。
このひとの演奏がスタンダードとはおもいたくないのだけれど。またこんど聞いてみよう。