ドバラダ飛空船〜ブルースからハワイまで〜

ギターをひいたり真空管アンプをつないだり

ノスタル爺や

 ノスタルジック・ハリウッドなムードは、フラッパーでもスウィングでもなく、バップでもなければバブルガム・ポップでもない、どこか田舎の童話のような、鄙びたウォルト・ディズニーのような音楽。そう、it’s dreamlike.

 

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 戦後とくに1950年代のハワイ音楽の流行は、日本だけのはなしではなかったようである。まえにでてきた『ハワイ・コールズ』が1935年からはじまっており、これが非常な影響をあたえたという。わが国では進駐軍FENをとおしてひとびとにきかれ、ハワイへのあこがれと楽園のイメージをかきたてた。

 

 50年代に芸能人がハワイにでかけだし、1961年には山口瞳がウィスキーのコピー「トリスを飲んでハワイに行こう」をヒットさせ、1963年の『ハワイの若大将』の上映が起爆剤となって、一大ハワイブームがおこった。

 

 1970年代にはいって1ドル360円の時代がおわると、海外旅行のハードルはいっきにさがって、80年代の高度成長からバブルへとつながっていく。ジャパンマネーの流入という意味では、60年代初頭にすでに日本企業によるホテル買収があったが、これがじょじょに投資というかたちをとって、大量にハワイにはいっていった。

 

 現在のハワイは観光と軍事産業でなりたっており、観光立州として確立した1970年代以降、経済格差はひろがりつづけているという。海外からの投資によって地価があがり、ローカルがこまるという図式である。

 

 音楽的には、80年代にレゲエがはやって「ジャワイアン」とよばれるスタイルがうまれた。のちにはヒップホップの影響もはいっている。そういわれると、前回とりあげたジャック・ジョンソンサウンドに、レゲエとラップの要素の両方が刻印されているのもうなずける。

 

 なお、日系のミュージシャンではエセル中田や灰田有紀彦というひともでてきた。これも要継続調査。

 

P.S. 辛亥革命孫文は、ホノルルのイオラニ校の卒業生だそうである。中国のひとじゃなかったん?