島津哲の『あなたの知らないハワイ・知りたいハワイ』に「バッキー白片」というひとがでていて、かわった名前だなあ、とおもっていたら、県立図書館に『ハワイアン全集』というアルバムがあった。その界隈では有名なひとなのかもしれない。はずかしながら存じ上げない。
さっそく借りてきて聞いてみると、コメディアン然とした名前に反して、スライドがじつにいい。それこそ『ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ』の1曲め、ライ・クーダーがたかいところからスライドではいってきたとおもうとバイオリンのごとくむせび泣いてウオッとのけぞる部分があるが、あの感じである。
ライナーノーツによれば、バッキーさんは本名、白片力(つとむ)、1912年ホノルル生まれ。17才のときにギターを手にし、ソル・ホーピイの演奏からスティール・ギターをまなんだという。
1933年にはじめて来日し、半年ほどの滞在中にアロハ・ハワイアン・トリオの名でいくつかの録音をのこす。その後ハワイにかえってハワイ大学医学科を卒業するも、音楽で身をたてたいとこころざし、医者となる道をすてて、もういちど日本にやってくる。1935年のことである。
戦時中はミネ音楽集団の一員として日本軍の慰問をおこなった。終戦とともにアロハ・ハワイアンズを再編成して、その後のハワイ音楽の隆盛に大いに貢献したのだそうだ。
ギターのチューニングについては、AメジャーとAマイナーをつかっていると書かれていた。いままでにきいたハワイ音楽CDの解説のなかで、マイナーの変則チューニングに言及したのはこれがはじめてである。
ソル・ホーピイはアメリカで成功したのち、ハワイに戻ってきて、若き日の白片さんはそれをハワイで観たということらしい。これは、ソル・ホーピイも要チェックや。
奏法面では、B.B.キングみたいなチョップをよくつかっている。抱えるスタイルではないので、実際はチョップではなくミュートした余弦をすばやくアルペジオしているようだが、効果としてはおなじになっている。サウンドは心地よく、聞いていてねむくなる―ハワイ音楽にたいする最大の賛辞である―のだが、聴きどころはだいぶある。
ディグればディグるほど名手がでてきそうな気配。果てしない。