「ここから下って上ってそして行きなさい」と男はいった。
その答えかたがあまりに堂に入ったものだったので、私はあやうくこの男がほんものの神父なのではないかとおもった。
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『ゴスペル』(1988年、小坂忠・岩渕まこと)
小坂忠といえば『ほうろう』や『ありがとう』が有名だが、なぜかいま手もとにあるのはこれ。
歌詞ではなく曲調がなつかしい。パッと聴くと『ドラえもん』のエンディングテーマのようでもあり、少年漫画のアニメの主題歌のようでもある。『シティハンター』とか『北斗の拳』とか『ドラゴンボール』とかそういうの。私の世代のなつメロということになるかもわからない。
これは明らかにバンドサウンドのせいだろう。リズムパターンとシンセ、それにエレキギター。もろに80年代後半のノリである。歌詞はしっかりゴスペルなので、看板にいつわりはない。ミスマッチがはなはだしいだけである。
ボーカルは編集をほとんどしていないようにきこえる。なんなら冒頭のいち音めの音程がもげている。ちょっと録りなおせばすむとおもうのだが、そういう次元にいないのだろう。おおらかというか大人の風格というか、けっきょく恰好いいので文句もでてこない。
めだつのは6曲目の「エクソダス」、当時はやったワールドミュージックのながれでつくられたものとおもわれる。ポール・サイモンの『Graceland』のようでもあり、じゃがたらの『それから』のようでもあり、『天才てれびくん』につかわれそうな雰囲気もある。いい具合に摩訶不思議さがただよってグッド。
3曲めの「20世紀のアダム」は、このアルバムのサウンドがしっかりきこえつつ、曲も展開にフックがあり、ふたりがボーカルを均等にとっていて、どれか一曲といわれたらこれになるだろう。詞のリズムも小坂節である。
この種の詞のきりかたは、はっぴいえんどから宇多田ヒカルまでつながっているのではないかとおもっている。『Automatic』はじっさい、衝撃だった。いまでもひさしぶりにCDを聴くと、日本語なのに歌詞がわからないときがある。
とはいえ、宇多田ヒカルについては、またべつのはなし。べつの機会に、書くことにしよう。
話をもどすと、なんというのか、メロディラインの高さなのか、ライン自体の特徴なのか、声の中低音の響きなのか、鼻音の「ンガー」なのか、ちょっとしたロングトーンなのか、すこしザラついた独特の声質なのか、わからないが、一聴して小坂忠とわかる。
いっぽう、岩渕氏のやさしくて透明感のあるボーカルが、上述のドラえもんイメージをかもしだしている。この善玉感あふれる岩渕氏の声と、デスペラード感あふれる小坂忠の声のコントラストがいい。
小坂忠は牧師さんだときいたことがあるが、どういう経緯でこういうサウンドのアルバムになったのかはわからない。すくなくとも売ろうとおもってつくった作品ではないとおもう。このあいだのジョー・ウォルシュもそうだが、よくわからないアルバムばかり手元にのこるのも謎である。
P.S. ライナーノーツによれば、1985年にゴスペルアルバム『歌う旅人』をアメリカで録音し、ハワイでコンサートをしたそうだ。こんなふうにどこからともなくハワイがでてくるのも謎である。どうなってんだろ?