ドバラダ飛空船〜ブルースからハワイまで〜

ギターをひいたり真空管アンプをつないだり

Loosen the Key

 このところすっかりキ・ホアルに魅了されてしまい、例によってGoogle先生You Tube先輩にちょこちょこ歴史をおしえてもらっている。

 

 ひとによって微妙にいうことはちがうのだが、スラックキーのルーツは、ひとまず1830年代にあるようだ。そのころ、ふえすぎた牛の世話を手伝うため、スパニッシュとメキシカンのカウボーイたちがハワイにやってきた。このときにナイロン弦のギターが彼の地にもたらされたという。

 

 ギターは現地の音楽にすぐにとけこんで、独自のスタイルがうまれた。それがキ・ホアル、すなわちスラックキーである。

 

 すこしくわしい説明によれば、スラックキーのルーツは、キャプテン・クックがハワイを発見した1778年までさかのぼれるらしい。当時、クック船長とともにジュニア・オフィサーとしてやってきていたジョージ・バンクーバーが、1793年、コマンダーとなってふたたびハワイを訪れ、船に積んできた牛をカメハメハ1世に献上したところから、話ははじまっている。

 

 当時、王は牛というものをみたことがなかったので、ハワイの民に命じてこれをふやさせることにした。カメハメハ3世のころまでには、牛たちは野生化して全土にひろがったが、どちらかというと迷惑な存在になっていた。管理や利用のしかたを知らなかったためである。

 

 どうしたものかということで、王は部下たちをカリフォルニアへ視察にいかせた。そこで彼らははじめてロデオをみた。このときに、カウボーイたちを雇ってハワイにきてもらい、牛の世話を教えてもらうというアイディアがうまれた。

 

 そのようにして、ロデオとロープワークとともに、ギターがハワイにもたらされた。ハワイのひとたちが弦楽器を見たのはそのときがはじめてだったという。彼らにはギターが「Beautifull singing strings」にみえたのだそうだ。詩的だなあ。

 

 もしバンクーバーが牛といっしょに養牛のしかたを伝えていたら、スラックキーは生まれなかったかもわからない。偶然というのはつくづく不思議なものである。

 

 以上、報告おわり。