パンク・ミュージックの適正音量―大きすぎるか、小さすぎる。
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パンクは皮膚と骨であり、スカルはパンクのイデアである。パンクのひとが細いのは、ファッションではなくアティテュードである。
パンクはピュアでラディカルでドライ。たとえば流木を路上にころがしたらそれはパンク。
パンクにオブラートはいらない。婉曲や遠慮はパンクとは無縁である。
パンクは前衛ではないが、うしろにはおらず、うしろだてにもならない。あとからゾロゾロついてきているのもパンクとはいえない。保守と徒党はパンクの敵である。
突き放したとがった態度、そのままでソリッドなのがパンク。意味をいちいち説明しないのがパンクであるといってもいい。
したがってパンクに議論は似合わない。パンクスがパンクネスを失わずに議論をしているようにみえるとき、それは平行線ではなくねじれの位置になっている。結論がでることはなく、端的な現状が示されるだけである。
むろんパンクは反権力、反権威だが、ポリティカル・パンクというものがあるとすれば、それはだまって現状に中指を突き立てることだろう。解決策の提示はパンクの役割ではないし、問題提起も同様である。
パンクスは基本的に分析をしないし、ものごとの理由や動機を説明することもない。パンクはあくまでアナーキーで、一人一政府である。
そもそも継続によって何かを実現しようとするのはパンクではない。何かに向かって別の何かをしつづけるのはパンクとはいえない。
かようにパンクはピュアでラディカルでドライでソリッドなので共感をもとめない。そういう意味ではパンクもやはりロマンであるといえなくもない。
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・・・パンくずリストについてしらべていたら、急にパンクのことをかんがえてみたくなった、というだけのはなし。こうしてみるとやはりパンクは潔い。
以上、報告おわり。