ドバラダ飛空船〜ブルースからハワイまで〜

ギターをひいたり真空管アンプをつないだり

AIと音楽

 うっすら前回のつづき。

 

krokovski1868.hateblo.jp

 

***

 

 AIが自我をもちはじめたら、はなしはかわってくるものの、いまのところAIそのものは著作者としては認められないだろう。この国の法律では、たしか「思想または感情の創作的表現」が著作物で、著作者は「著作物を創作する者」だったはずだ。創作、者、感情といった語の響きをきいているだけで、AIを著作者とするのは時期尚早におもえてくるくらいだから、やはりまだ早いんじゃないのという気がする。

 

 そうなるとどうなるか。「なりになる」といって時代に寝そべってもいいけれど、ちょっと考えてみたくなった。

 

 ひとまず、AIソフトの開発者か、所属する会社が著作者になりそうである。そして、AIがつくった曲に作曲家なり編曲家が手をいれるというのも、じゅうぶんに考えられることである。これらが曲ごとに関係者間で調整されて、それぞれの立ち位置がきまっていくんじゃないかとおもわれる。

 

 ひとまず①AIの著作物にはいまのところ著作物性はないが②AIを活用した著作物には著作物性が認められうる。そして③著作物性の有無は創作性の高低というかたちでグラデーションになる、このあたりが立ちもどる原則になりそうである。「これでどうやって運用するの」という感じだが、こうならざるを得ない気がする。

 

 

 さらに飛躍してしまえば、AIによる自動作曲は、超高性能の楽曲制作支援ソフトをつかって作曲するのと、結局のところかなり似てくるのではないかとおもう。仮にAIを活用した作品に著作物性をいっさい認めないとすると、巷にでている楽曲制作支援ソフトのほうにまで影響がでかねないし、これはだれの得にもならないはなしだ。

 

 楽曲制作支援ソフトをつかおうがオール手弾きでひとがつくろうが、現状それについてユーザーもふくめ誰も文句をいっていないわけで、こういうのは避けるべきだろう。

 

 とはいいながら、ひとくちにAIを活用した著作物といっても、それなりのクオリティの楽曲が自動で大量にできて、それらをすべて著作物と認めるということになると、市場のバランスなどかんたんに崩壊してしまいそうである。仮に市場にでまわる楽曲数が1,000倍になったら―ありうるはなしだ―、単価はべらぼうにさがるいっぽう、実務者の仕事はふくれあがるはずだ。作業のほうもAIがしてくれるなら、はなしはシンプルで、楽曲の値段がタダ同然になるとおもえばいい。

 

 もしそのようなことになったら、ユーザーが音楽にあたえる価値は、致命的に損なわれることになるだろう。一般に、手軽に大量につくれるものを、ひとは高く評価しない。

 

 そうなると、音楽業界ぜんたいの利益がガクンとへって、音楽家たちはやせた土地を細々と耕すということになりかねない。それは困る、よな。

 

 とすると、すくなくとも業界関係者なら、軽々にAI作品に著作物性を認めないというスタンスをとったほうがいい、ということになりそうだが、これもハッキリいってはっきりしない。音楽教育をうけてなん年も研鑽をつづけてきた作曲家たちの仕事がなくなるのはマズイ気もするし、世の中そういうものだといわれて上手に反論できる気もしない。どっちなんだい。

 

 しいていえば、AI楽曲が職業作曲家にインスピレーションをあたえるというポジティブな側面はありそうだから、そうしたものを生かせる範囲で、技術的進歩にしたがって、扱いも更新していくと、そんなところに落着くような気がしないでもない。

 

***

 

 ・・・などと4年まえに書いていた。生成AIがでてきて、いまごろ欧州などは大騒ぎになっていることだろう。東方の島国では自由意志など否定されてもなにほどのこともないが、あちらではそうはいかないはずである。以上、報告おわり。