前回のつづき。つれづれ・ロックのジャンルばなし。
そういえばソフトロックというジャンルがあるが、あれはカントリー・ロックではないそうだ。ならばAORにつながるような流れかとも思えるが、これも合っているか知らん。
私のなかではソフト・ロックといえばブレッドであり、ブレッドといえば『Mana』である。ちなみに邦題は『神の糧』。この作品だけ聞くとフリーの親戚のようにもおもえるが、フリーといえばブルースロックということになっている。
ブルースがロック化したらブルースロックで、ジャズとそれらをぶつけたらジャズ・ロックになる。ジャズ・ロックはブルースロックがジャズに行ったものと、ジャズがロックにアプローチしたものとで、サウンドはあきらかに異なる。それでジャズ・ロックは早々にクロスオーバーに名を変え、そのうちにサウンド自体がまじりあって落着いたところでフュージョンというそのまんまの名をつけた。これも合っているか知らんよ。
私は、おおかたの音楽リスナーがそうであるように、ふだんはジャンルについてあまり意識しないで聞いている。とはいえ、ジャンルなどどうでもいいとおもったことはない。ジャンルという枠を考えることによって、サウンドどうしに関連をみとめたり、構造化するきっかけになるからだ。
ジャンル拒絶はジャンル原理主義の裏だとおもう。ジャンルばなしは酒の肴にはならないかもしれないが、まなびにはなる。気をつけていれば、いま起きていることを感じとるのを邪魔したりしないし、それがどこに行くのか、風向きを知るのに役だてることもできる。
以上、報告おわり。