【ダウンビート】
①1拍め、3拍め。
②いわゆるアンハッピー・エンディング。ハリウッドにおける許されざる罪のひとつ。いまはどうか知らん。
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つれづれ・ロックのジャンルばなし。
アート・ロック、グラム・ロック、サイケデリック・ロック、ハード・ロック、プログレッシブ・ロック、ニューヨーク・ロック、サザン・ロック、ジャズ・ロック、フォーク・ロック、カントリー・ロック、ウェストコースト・ロック、ブラス・ロック、エトセトラ、エトセトラ。
ものの本などでは、カントリー・ロックはフォーク・ロックとは別の文脈で語られている。フォークとカントリーが親戚のようにきこえるから、ごっちゃになりがちだが、フォーク・ロックはフォークがロック化したものという位置づけのようだ。
ロック化するまえのフォークは、いわばモダン・フォークであり、デモで歌われるようなプロテストソングの色合いがつよい。いっぽう、むかしながらのフォークは、教訓や生活訓、地口やユーモア、わらべうたまで幅ひろくカバーしている。どうもそういうことらしい。
私は、レッドベリーやウディ・ガスリーはフォークシンガーで、チャーリー・パットンもそこに含めてさしつかえないとさえおもっているので、彼らのレパートリーはぜんぶフォークにきこえている。まったく正しくないとらえかたかもわからないが、そんな風にきいている。
いわゆるフォークからプロテストをとりだして、そこに文学的な詩をつけたらモダン・フォークになるとおもっているが、これも合っているか知らない。とにかくモダン・フォークといえばボブ・ディランであり、フォーク・ロックはディランがエレクトリック化したころのサウンドをさすようだ。これも本によるとバーズはフォーク・ロックだそうである。そうなの?
あたりまえかもしれないが、すたれてしまったジャンルというのは、たいていは当時のイベントや流行とくっついている。したがって、カントリー・ロックを70年代の時代思潮とむすびつけて考えても、それほど突飛ではないだろう。
サイケデリック・ロックが60年代の夢とつながって、それが瓦解すると巷ではやさしさとエコがはやった。バック・トゥ・アースしかりホール・アース・カタログしかりフィリップ・マーロウしかりである。
要はアメリカ経済の停滞が上述の風潮をよんで、時代の空気がまたそれにあうサウンドをよんだ、ということではないだろうか。70年代にはいって、ひとびとはある種の郷愁をもとめてカントリー・ロックにむかったのである。
いずれにせよ、筆者の興味は主にサウンド面にあるわけだが、カントリー・ロックがアコースティックなロックのことなのかというと、そういうわけでもないらしい。これまたものの本によれば、ザ・バンドやバッファロー・スプリングフィールドはカントリー・ロックのさきがけなのだという。そうなの?
資料を読んでいるうちに、有名グループがこぞって70年代に地に足の着いた調子のアルバムをだしたのを、便宜上カントリー・ロックと名づけただけの話じゃないのという気もしてきた。そのなかから、それこそアコースティック基調のサウンドが、キャロル・キングやジェイムス・テイラーのようなシンガーソングライターの線につながっていったということではなかろうか。
話は逸れるが、私の場合、キャロル・キングはもろもろ一周して『つづれおり』にとどめをさしてしまう。先輩から「名盤ばかり聴いていてダメだ」といわれたこともあるけれど、キャロル・キングの作品でどれか1枚えらべといわれたら、いまでもやっぱり『つづれおり』と答えるとおもう。
ジェイムス・テイラーなら『ワン・マン・ドッグ』がいい。これはとくに名盤というわけではないようだが、気があうのかずっと聴いている。
仮にじぶんで編集するとしたら、『つづれおり』なら『I Feel the Earth Move』を、『ワン・マン・ドッグ』なら『Don't Let Me Be Lonely Tonight』を外すとおもう。たしかどちらもシングル曲なので、異論はだいぶあるとおもう。
同様に、ポリスの『シンクロニシティー』なら、アンディ・サマーズにはわるいが6曲目の『Mother』を外したい。こちらは賛成多数で可決するのではないかとおもう。話はどこまでも逸れていくが、ジャコ・パストリアスのファーストは2曲目のイントロのブラスセクションのボリュームをすこしさげたい。そういうのってけっこうあるんじゃなかろうか。己だけ?