ドバラダ飛空船〜ブルースからハワイまで〜

ギターをひいたり真空管アンプをつないだり

ナイアガラ

 冬の凍った川のように眠っていなさい。


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 朝の4時半に家の裏山を車で散歩するというミュージシャンが乗るのは1976年製のキャデラック、曰く「あの中低音はキャデラックでないとでない」とのこと。しかもこれが部品を日本製にかえると音まで日本製になるというのだが、本当かなァ。妄聴ではないかと思うのだけど。

 

 しかしこの妄聴、じつはミュージシャンにとって不可欠な資質であって、それというのもこれができなければ自分のだしたいサウンド、理想の音をイメージできないからなのだ。

 

 極端にいえば音というのはしまいにはトーンに行き着くものであり、楽器の音はいわばその人間自身を映す鏡である。これについて、名手と呼ばれたギタリストは「ギターというのは6本の弦を通じて出てくる人間性である」と語ったと伝えられている。文は人なりといわれるが、どこの世界でも事情はおなじようである。 

 

 それでこうした個々の音が集まってアンサンブルが生まれるわけだけれど、アンサンブル全体のトーンをこそ「サウンド」―構造からアトモスフィアまでをも含む―と呼ぶべきじゃないかと思うので、それで美しいサウンドを作り出すために巨大な「妄聴」力が必要になってくる。つまり何がいいたいかというと、名手になるのとバンドマスターになるのとでは、必要とされる資質はまるで違ってくるということだ。

 

 復帰後のマイルス・デイヴィスはあるインタビュアーに向ってこう語った。「俺は音符を演奏しているんじゃない。サウンドをプレイしているんだ」と。

 

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