アメリカン・ルーツ・ミュージックの体現者のひとりであるとともに各地のルーツミュージックの発掘から仲介、紹介までしてしまう偉いひと。演出家みたいにならないところがいい。演奏者でありつづけているのが、とっても渋い。
いまや「ルーツ」といってもすぐにはつながりが見えないほど細分化され多様化されタコツボ化されごちゃ混ぜにされているから、末端付近にいる我々はパッと聞いたところで「わるくはないけど古めかしくてキックが足りんなあ」となるのが普通。5、6年ほどまえにこの手のものをジャンル問わず「スルメ系」と名づけることにした。かめばかむほど味がでる、でもかまなきゃ味はしない、ということで。
たのしさが向こうからやってきて当たりまえのこのご時世、スルメ系の復権を夢見ているひとはまあ、いないわな。だいいちスルメ系人間は見ている夢について大っぴらに語ったりはしない。
かむのが面倒な向きには『パリ・テキサス』、「カレーは飲み物だ」という兵には『ブエナ・ヴィスタ・ソシアル・クラブ』を勧めます。これらを観ればライ・クーダーにポジティブな先入観を持てること請け合い。よしんば興味がなくともこの2本は映画として観て損はない。
ヴィム・ヴェンダースの作品に漂うさすらいと喪失、ときに見え隠れする救済の感覚、できれば映画館で観たいところ。個人的には『リスボン物語』が明るめで◎。『アメリカの友人』も捨てがたい。
しかしパトリシア・ハイスミスってやたら映画の原作になっている気がするけどどうしてだろう?