ドバラダ飛空船〜ブルースからハワイまで〜

ギターをひいたり真空管アンプをつないだり

音楽探偵、逡巡す

 このところ、Amazon Prime Musicをつかってみるか、迷っている。説明によれば、1億を超える楽曲と、数千のステーション、プレイリスト、ポッドキャストがあるという。あちらで耳利きしてくれて、自分の好みの系統にすばやくたどり着けるようになっているものと推察される。

 

 サービスが個別に最適化されるだけでなく、旅行でいえばパック、カードゲームでいえばスターターデッキの品ぞろえもかつてなく充実している。それらが低廉であるにとどまらず、ほとんどすぐにアクセスできてしまうという、安くて易い世界がひろがっている。

 

 音楽についていえば、ディグのしかたがかわってきている。プレイリストはコンピレーション、ポッドキャストはラジオ、ステーションは店頭のジャンル棚とおもえばいいが、レコード屋でやみくもに買うのとはまるでちがってくる。

 

 うまく説明できないが、よくもわるくも、足りないところから想像することができにくくなったということをいいたい。膨大なリソースから顧客好みの音にいかに速く辿りつかせるかを企業がわは追求して、聴くがわもしぜんとそれにのっかっていく。つまるところ趣味なので、最短距離を行かなくてもいいということは、忘れられがちになる。

 

 それは、そうだ。好き好んで合わない音を聞くことなどない。わからないものをわかろうとしてわかった気になるのは、健全な音楽の聞きかたをしようと躍起になるようなものである。

 

 そもそも趣味の世界に健全もへちまもないのである。公序良俗に反していようが、良識の埒外にあろうが、それがひとりの人間のなかにとどまるかぎり、知ったことではない。

 

 むろん、公私を截然とわけることなどできはしないから、それはどうしてもにじみだしてくる。結果としてまわりに迷惑になるようなら、折り合いをつけざるを得なくなる。

 

 もっとも、音楽にかんしては、ジャイアンのようにリサイタルをひらいて無理に聞かせようとしたり、あたりかまわず大音量で鳴らしたりしなければ、まわりを困らせるようなことはまずないので、心配はないといえばない。

 

 問題があるとすれば、ほかのこともおなじようにとりあつかってしまうリスクだけだろう。一事が万事というが、これもやはりにじみでるので、ひとつのとらえかたをなんにでも適用しようとすると、周囲との軋轢をうみやすい。

 

 Double standardというか、引き裂かれた状況になることに耐えかねて、ひとは自分の好みをひとに押しつけたり、宣伝したり、仲間にひきいれしようとしたり、そのよさについてえんえん語ったりしてしまうのかもしれない。語ることや書くことにかんしては、それじたいがおもしろく、また、そうすることで自分が整理される気になるので、ますますそうしがちになる面もある。

 

 したがって、足りない状態になれているひとたちと、ありすぎる状態になれているひとたちとがぶつかりあうのは、しぜんな成りゆきかとおもう。ひょっとしたら「さいきんの若い者は」というのはほとんどこれに帰着するのではないかとさえ、さいきんではおもいはじめている。

 

 「にわか嫌うな来た道だ 古参嫌うな行く道だ」という。意味はだいぶちがうが、世の中におけるわれわれの立ち位置が、時とともにかわっていくという意味では、似たようなものなのかもしれない。

 

 「便利すぎる」などといってこのような記事をネットの海にてがるに投稿できてしまうことじたい、恵まれすぎの感がある。そう感じることじたいが、自分のある種の立ち位置をしめしていることを、わすれないようにしたい。

 

 なんのこっちゃ、わけ、わからんくなってきたのでおわりにしよう。ア・ビヤント!