笠岡ラーメンのはなしもしたいけど。前回のつづき。
ひとことでいうと、やはり寄せては返す波のグルーヴなのだけれど、アタックというよりはダイナミズムのようにかんじる。イメージはほんとうに波でよく、雑にいうと2-4をつよめにだすのだが、音量差がゆるやかなカーブを描くようにする。
1をあまりつよくしない、といったほうが実情にちかいかもわからない。タイムも波のように揺れていい。前のめりにならないように、とにかくゆったりと。
自分が演奏したものとくらべて家人に聞かせたら、当然ながら「ぜんぜんちがう」とのこと。コタニさんのは2人で弾いているように、うまくかぶさっているように聞こえるという。
ベース音とメロディ音の分離のよさがどこからきているかは謎だが、すくなくとも右手でだすメロディラインのダイナミズムがキモなのはたしか。メロディが途切れないように、かつ上記のダイナミズムで演奏すれば、うまくいくのかもしれない。
なお、模範演奏にもミストーンはあるし、録音環境からして、かなり気がるに演奏しているとおもう。それでこのクオリティだから、ちょっとなんといっていいかわからない。
適当なラクガキやサイン、メモ、イタズラ弾きなど、手を触れたものがなんでもかんでもありがたがられるようになれば、それはもう信仰とおなじだ。ほんものでありさえすれば群衆はいつでもついてくる。そういうことではない。
ミストーンはある。音はいいとはいえない。それでもあきらかにちがう。だからそういうことではない。
ミスしないようにするまえに、ミスしてもいいから歌わせて、じゅうぶんに歌えるようになったら、そこからミスをへらしていく、本来はそういう順序なのではないかとおもう。うたごころがない場合、とにかくコピーして、うたごころをあとづけで発見するしかないようにおもうが、真似の精度を高める方法がわからない。
結局、岩登りとおなじ問題につきあたっていることに気がついた。限界グレードでは、登れている人間のムーブは、参考にはなっても、真似しようとすることはできても、再現はできないのである。
目標が遠すぎてさっぱり見えないが、このへんの消息が聞いてわかるようになっただけでも、20年まえよりはるかに進歩している。してみると、岩登りもギターにつながっていたといえるのかもわからない。
以上、練習おわり。