FGシリーズのつづき。キーはG。スリーピー・ジョン・エステスを聞いていたらでてきたのでメモ。
自分がギターを弾くとおもうと、ちからがはいってしまうので、ギターを弾くために自分のからだをうごかす、ととらえてみることにした。これもデタッチメントである。おなじように、われわれは生活のためにうごいているが、生活のためにからだをうごかしているともいえそうである。
禅問答というよりはこんにゃく問答のようだけれど、これも認識をかえるためだ。というより、おそらく禅の公案とは、認識の変化をうながすための工夫なのではないかとおもう。
というわけで、ギターを抱えるのではなくささえる、弦を押さえるのではなくサポートする、ひとつその線で行って、どうなるか検証してみたい。
以上、報告おわり。