ヤサグレ国家予算が放つ、まだ誰もきいたことのない音楽。それはヘッドフォンからもれるときにのみ美しく響く。
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音楽を聴きたい。どんな音楽か、ですか? それがわかっていたらこんなもの書かない。
世の音楽好きとよばれるひとびとは、程度の差こそあれ、おなじように感じているのではなかろうか。「イヤイヤ、それって音楽好きでなくコレクターの話でしょ」という声がきこえそうだが、音楽好きにも、自分のなかにいくつか決まった作品があってそれを聴いて満足を得られるひとと、欲ぶかいのか何を聴いても「さらにすばらしいのがあるんじゃないか」と感じてしまうひとと、ふた通りいるのではあるまいか。
それで私などはノータイムで後者なのだけれど、かんがえてみれば音楽好きはみんなそうである気もする。「一生これ一曲でOK」という天上の音楽がそうザラにあるともおもえないし、一生にわたって一曲に満足しつづけたひとがいるかどうかも検証することもできない。いたとしてもそういうひとはその曲について語りのこしたりはしないだろう。
・・・と、ここまで書いたところで、「そうか、だからコレクターなのか」と気がついた。遅いyo!
結局のところ、われわれのさがしているのは自分のうたなので、こればかりは他にもとめてもみつからないから、あきらめるか死ぬまでサーチしコレクトしつづけることになる。
ずいぶんまえにシルヴァスタインの『ぼくをさがしに』という絵本を読んだことがある。転がるパックマンの話で、そいつは自分の口のパーツをさがしているのだが、なかなかちょうどいいのをみつけられずに、ひたすら転がりつづけている。旅路の果てに完璧なパーツを見つけて真円になるものの、パックマンは何をおもったか、そのパーツをそっと置き、またいずこかへ転がっていく。
当時は「どうしてそのパーツをたたき壊してしまわないのか」といぶかっていた。いまはどうだろう。床下にこっそりかくして、何食わぬ顔で事務所へ行くかもわからない。
とっちらかるまえにおわりにしよう。散開!