パーカッションとチンドンの区別がつかないひとのいうことが信用できるとおもいますか? 信用しないで下さい。
***
フォークシンガーとしてスタートし、ヒット曲をだし、重圧も乗りこえ、さまざまなサウンドをとりいれつつ精進をかさねていく。
初期のアクのつよいねっとりしたうたいかたは影をひそめ、自虐は自嘲に、中2っぽさは茶目に、ウダウダは思慮ぶかさへと昇華されていく。
年を経るにつれて曲想と詞のサイズがちかづいてくる。いっぽうで、詞には一貫したフィーリングがある。日常のほんのちょっとしたこと、とりあげるにも些細なこと、一瞬の感情のひらめきようなものを、視覚的にうたいこんでいる。
「花」や「さくら」がいろいろな作品に収録されているのは、自身の里程標にしているのかもしれない。義理で10,000回歌うたうより、はるかに上等なヒット曲のつかいかたではないかとおもう。
トラックはシンプルに上質であることを目指しているようにきこえる。クオリティは素敵にたかい。はずかしながら、奏者を見ても知らないひとばかりだが、きっと名うてのミュージシャンたちなのだろう。大御所らしき名が見えないところも好感をもてる。
概して、初期は気に入ったサウンドをもってきて、自分の詞に合うかためしているような雰囲気もあるが、近年の盤にそうしたところはない。したがって借りもの感はない。うたいかたや詞の表現の柔軟さがいやましたというほうが、正確かもわからない。
兎にかく、ちょっとした語彙や表現の瑞々しさにこころを打たれる。吟味された一貫した好みが伝わってくる。
いささか牽強付会かもしれないが、資質の方向性は上林暁と似ているようにおもう。すなわち、あまり哲学的な思弁的なほうへ行かずに、「それがどうした」というほどミクロな光景、日常というにはあまりにも日常的すぎるような景色を、彫刻よりは写真のように切りとるひとだとおもう。詞の喚起力はかなりつよいです。
いい意味でヒット曲をつくろうとしていないようにさえ聞こえてきて、それが非常に心地よい。ウツウツとかんがえこむことはあっても独りよがりにならないので、いつでもこころやすく聞ける。
先日、さぬきでライブがあったので、家人がでかけてきた。時間の都合で物販を購入できなかったが、パンフレットをみたところ、グッズは素晴らしい。タオルがないのが不思議だけれど、コロナ禍で流行らないのだろうか。会場限定販売の弾き語りアルバムのタイトルが『原画』なのはさもありなんである。
なんせ夏のおわりに森山直太朗の音楽にであえて収穫だった。このひとがこれからどういうふうになっていくのか、ウォッチしていきたいとおもう。子が落着いたら一家で観にいこう。以上、報告おわり。