他人の正論に耳を貸すな。
―ドクトル・クロコフスキー―
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前回のつづき。
アンプをしらべだすとこんどはエフェクターも気になって、探してみると真空管を使った製品がある。真空管アンプは高いし、重くて持ち運びもツライので、真空管入りのブースターで済めば楽なのだけれど、そう簡単でもないようだ。
ソリッドステートのアンプにエフェクターをつないで真空管の音をだすというのは、石で球の音をだそうとする試みなので門外漢にも無理筋とわかるのだが、無理といわれるとやってみたくなるのもわかる気がする。こうした製品が巷に出ている以上、すくなくとも一定数の人間がこの音を好んでいるのはまちがいないようである。
エレキギターの真空管アンプ直の音や、アナログレコードを真空管アンプで再生した音を聞く機会は、むかしよりずいぶん減っていると思う。筆者は往年のギターヒーローたちのサウンドをCDで聴いて育ったので、屈折した形になっている。じっさい、10代のころにクラプトンのライブに行ったときも、ギターの音がどうという風には感じなかった。単純に「ウワー」となっただけである。
それ以降、スタジオに置かれたツインリバーブを触ったり、ときにはマーシャルを鳴らしたりもしたものの、どうにも扱えずにジャズコに戻っている。要はほぼ100%トランジスタユーザーである。
ハッキリいってジャズコのほうが安定していて使いやすいのである。古いものでも「これはひどい」という個体に当たったことがない。これだけ頑丈でセッティングも容易でおまけに内蔵コーラスも優秀とくれば、名機としかいいようがない。
そんなトランジスタ人間がいまごろになって真空管アンプのサウンドにやられているのだからわからぬものである。やはりどこかで刷りこまれているのかもしれない。それはわからない。
したがって、真空管の音をぜんぜん聴かずに育った人間にこのサウンドが訴求力をもつかどうかというのは、それはそれで興味深い問題である。
まえにしらべた限りでは、真空管の隆盛はせいぜい1950年代までで、以降は半導体が主役となっている。現在はナノ単位でチップを埋めこむとか、そんなレベルの話になっているらしい。
あれからも真空管のことをいろいろとしらべてはいるものの、カソードだのアノードだの呪文が多くなかなか進めない。どうやら真空管というのは半導体の親のようなものであるらしく、元を正せばエジソンの白熱電球からはじまっているのだそうだ。21世紀に入ってすでに20年以上経つというのに、前世紀初頭に生まれた遺物でつくったアンティークのようなアンプを珍重するというのは、どういうことかよくわからんが、それを考えるのはまたこんどにしよう。
わかる範囲でずんずんとしらべていくと、真空管ギターアンプは古典回路をいじったものであるという。RCAの真空管マニュアルがもとになっているとの由。RCAといわれてもレコード会社くらいしか思いつかないが、どうやら同一らしい。フィリップスの真空管というのもでてきたが、きっとこれもそうだろう。たしかオランダのレコード会社だったはず。
なんせ回路図はだれでもアクセスできるし、電子工作の心得があれば自作もできるらしい。キットも市販されているようだし、ひょっとして小型アンプならいけるかも。もうすこしだけしらべてみよう。
P.S. ジェフ・ベックが亡くなっていたことにいまごろ気づいた。合掌。なんてこったい。