前回のつづき。
おもうに、「まちがえた」とおもうから失敗したと感じるだけで、ただヘタなだけだとおもえば、事実を再確認するだけなので、はずかしくなってますます集中力をなくすということは、防げそうな気がする。こういうときのtipsがあるとすれば、
・まちがえても、何ごともなかったふりをする
・ミスしても流れをとめずにおわりをつける
などだろうか。そのあいだにこっそりと呼吸をととのえ、べつの手癖を再試行する。私は呼吸がいつまでもととのわないので、どうしていいのかいまだにわからない。
不安や緊張にとらわれているときに、いい判断はできない。誤解やおもいこみで見当ちがいなところへ行ってしまうのがオチである。そういう意味では、試奏にも慣れておかないと、ふところにやさしくないともいえる。
「緊張の原因となっていることがらについて他人に話してみる」というのも、有力な対処法のひとつだとおもう。とくに具体的なアドバイスがなくても、自分で自分のおもいこみに気づけることもある。
往々にして、役にたつ忠言というのは、安易になされるものだとおもう。忠告したつもりのないことをそのようにうけとられていたり、じぶんでもそうしているというようなことはないだろうか。忠告しようと懸命になるほど、相手に響かなくなるという構図になっている。
つまるところ、忠告はするものではなく、されるものと心得たほうがいいのかもしれない。ヘヤー・インディアンの教えではないが、ひとに教えたり教えられたりできるものではないとおもったほうが、実践的かもわからない。以上、報告おわり。