あたらしく便利な道具をもとめるまえに、手もとのものでもっときめ細かく暮らすやりかたがあるのではないか。さもないと他人がのこしたものをすこしずつ吸収するだけで人生がおわってしまう。
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それにつけてもギターはいい。軽量で持ちはこべて、チューニングもいじれて、それなりに音量もでる。和音もだせるし弾きながら歌うこともできる。エレキもあるし、いいことづくめである。
仲間もたくさんいる。ガットギター、ドブロ、ウクレレ、バンジョー、マンドリン、きりがない。折角だからガットとドブロくらいは持ってみたいものである。
アーチトップギターもむかしから気になっている。ギブソンのLシリーズは見た目、雰囲気ともに100。
ベン・ハーパー好きとしてはワイゼンボーンも触ってみたい。グーグル先生にきいたところ稀少品だそうである。兎もかくいちどはラップスティールをトライしてみたい。
こうしてなに気なくギターを鳴らしていると、忘れていたことをすこしずつおもいだしてくる。「ひとりでなん本も持ってもそこまで弾かないし、うまくもないし、まして人前に出る予定もないし」などといってはオシマイである。手に入れなければ弾けないし、弾かなければわからない。人生はみじかいのだ。
それにつけてもカネ、カネ、カネである。いまになってようやく気づいたが、ウン千万というわけでもなし、貯めれば買えるのである。欲しいモノを買うお金を貯めるために一生懸命仕事をする、それでいいんじゃあるまいか。ポルシェやフェラーリを買うのといっしょである。ちがうか?
むしろ欲しいモノを忘れてしまうとはどういうことなのか、そちらのほうが気になるが、それはまた今度かんがえよう。そういえば私は自分で楽器を買ったことがないが、そのことすら忘れかかっていた。
あるいはモノではなく、したいコトをするカネを貯めるために働くのかもしれない。好きなことをしてカネが入るのは最高かもしれないが、ほかにもしたいことがたくさんあったら手はまわらなくなるし、好きなこととは別に欲しいモノもあるよな、そりゃ。
もろもろ一周してカネである。働いたおかねで自前のギターを買おう。そうしよう。