『Donde Están』(フリオ・アンドラーデ、2016年)
30年くらいまえの生活感覚―カードより現金、ドル持ってりゃとりあえずOK―、そういう世界。しかしながら同時にテクノロジーが超高速で最新の流行を伝えている。
いっぽうでは北米のモンスターバンドたちがツアーに通い―フィジカルな距離は遠くないのだ―、またいっぽうではフォルクローレが生活の中に力強く息づいている。インプットされる情報の時系列が素敵に入り乱れているわけ。
2016年に人々が巷でチャランゴをかき鳴らしながらピンクフロイドを聴いている世界が現実にある。これはすごいよ。
ミュージシャンたちがアフロや自国の伝統的なサウンドをとりいれた80年代後半、そして90年代初頭のオルタナ~ミクスチャー、その線上でペルー人ギタリストがアルバムを描いたらこうなった、そんな作品。本作に限っていえば、路線はハードロッカファンク・オリエンタルとでも括りたい。コピーをつけるなら「むずかしく考えなくていい、踊りかたも気にしない、でもやっぱり、グルーヴしなけりゃ意味ないね」。
エアロスミス、ロッド・ステュアート、ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、そこにベックとニルヴァーナをかさねて、歌とギターはレニー・クラヴィッツに、アレンジをサンタナにまかせよう。そこに80s風のブラスを少々。これだけ書けばだいぶ音像がはっきりしてくると思うのだけれどどうだろう?
ブラスセクションと等価で入ってくる民族楽器のフックが絶妙で、メロディラインのセンスがひかっている。衒いのないキャッチーなライン、こういうのなかなか書けないよ。ブリッジの感覚的な編曲も然り、このへんは完全に無自覚にでてきているものと思われる。
一聴してギタリストがつくった作品とわかってしまうのが難といえば難だろうか。すくなくともドラムとベースはもっと良くなるし、ずっと全力投球しているから聴き疲れもしてくる。
曲によっては音域があつまりすぎていらようにも聞こえる。これだけいろんなものをフシオン―フュージョン―しているから、やはりどうしてもガチャついてきてしまうのはやむを得ない。
すでに良作ではあるものの、リズム隊を強化して日本でレコーディングすればもう一段上がると思う。とにかく音圧が低いんよ。LA行ったほうが近い?