ドバラダ飛空船〜ブルースからハワイまで〜

ギターをひいたり真空管アンプをつないだり

了見

 やれやれ、このネットオーディオの時代にCDやレコードを買いつづけるというのは、どういう心境なのだろうな。自分で自分がわからない。

 

 コンポを廃棄して、旧式のラジカセにしたとたん、それさえも聞かなくなっている。音質は気にしないといいつつ、しっかり気にしているわけで。あたりまえがなくなってはじめてありがたみがわかるという、いつものパターンをくりかえしている。アンタいくつになったん?

 

 ネットワークプレーヤーへ移行するか、あるいはSP盤を再生できるレコードプレーヤーと中級のオーディオコンポを買うか、あるいはその両方か。レコードが時代遅れになったように、CDもそうなったというよりは、とうのむかしに一緒くたにレトロあつかいになっているのに、いまだに認めようとしていない。

 

 なんのかんのいっても、認めたくないのである。古いといわれてわるいこともないし、好きにすればいいだけなのに、妙にムキになって、それもあまり認めたくないという二重構造になっている。So what?

 

 似たような理屈で、Bluetoothスピーカーもどうも信用ならない。無線マウスにとまどうのとおなじである。真空管ギターアンプを無線で鳴らそうとおもわないのとおなじである。視覚的につながっているという状態、つながったさきがアナログに動作している感覚というのが、おもったより大事なのかもしれない。

 

 あるいは、それをいいわけにしているだけだろう。下の世代にとっては、あらゆる媒体は先入観なく等価で並んでいるので、アクセスのしやすさだけを担保しておけば、そのうちに彼らが判定してくれるとおもう。問題はわたしがどうするかだけである。

 

 年々、構築された作品を聴くより、音を聞くほうへ向かっている。アコースティックなら生音、エレキならアンプのスピーカーからでる音。音というものはしまいにはトーンに行き着くものといわれるが、じっさい、その通りになってきている。

 

 10年まえは環境音楽の類だけでは満足できなかったのだが、時とともにかわってきた。哲学者をやめてマンガを読むような感覚である。(何がわるい?)

 

 かろうじてわたしにいえるのは、こういうのを集中力の低下とか、忍耐力の枯渇とか、理解力の停滞とか、精神力の衰えととらえてもしかたがないということだけである。以上、報告おわり。

 

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