機械学習はAIの技術的要素のひとつであるという。どうやらデータからルールやパターンを見つけることを学習といっているらしい。パターンを識別し、予測できるようになれば、ひとまずはゴールということのようだ。
機械学習は教師あり学習と教師なし学習にわかれる。教師とはすなわちデータである。教師ありのときはビッグデータ、教師なしのときは簡略化したデータをもちいるとおもっておいてそれほどまちがいはない。
機械学習をつかうにあたっては、シミュレートして、成果が得られるか確認して、実装して、精度をモニタリングしつつ運用することになる。なんでもかんでもディープラーニングする必要はない。膨大なデータが必要だし、学習する時間もかかる。ほかの機械学習のアルゴリズムや分析モデルで十分なこともある。
AIが進歩することで、組織における人間の仕事はどうなっていくのだろう。すでにスキルが身についているひとは、AIのためにルールやパターンを定義して、学習度合いをモニタリングする係になれそうである。それこそ教師係である。
そうでないひとは、いまから職人になろうとするよりは、まわりとの調整が必要な業務に習熟することを目ざしたほうがいいのかもしれない。あるいはアイディアをだしたり、感情に訴えたり、矛盾をおもしろがったりするような世界に向ったほうがいいのかもわからない。
音楽についていえば、AIが膨大な楽曲を学習して、既存曲に似たものを自動で大量に生成するようになる。ベテラン作曲家は、上述の職人のように、AIの出力した音を批評しつつ、アシスタントとしてつかうことができるだろう。いっぽう、若手はより積極的にAIとたわむれて、ハイブリッドな作品を生みだしていくことになるだろう。
既成曲と遜色ない音が無料で大量に出回るようになると、音楽そのものの価値がさがって―無料でいくらでもあるものをありがたがるひとはいない―、そもそもプロになろうというひとがへるかもわからない。見方をかえると、芸術的価値をなくした音楽は、もっと身近になって、アマチュアが増える可能性がある。ここ数年、楽器の売上が伸びているのは、コロナでおうち需要がふえたばかりではない気がする。
音楽にそこまで高い芸術性をもとめず、ヘタなりに自足する。アマチュアバンドなどを組んで、なんならAIでつくったトラックの上でひと同士ゆれながらミスしながらあそぶ。AIに頼りながらAIに背を向けるような態度をとる。
なんせ、ソフトとしてのスキルを伸ばすにも、己の資質を見定める必要があるし、ハード面がしっかりしていないと、地に足の着いた発想はうまれない。つまるところ、現実は相補的であり、グラデーションである。
とっ散らかってきたのでおわりにしよう。サラヴァ!